【Mr.イタリアワインが語るアンティノリ】レンツォ・コタレッラが描いたアンティノリの未来
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アンティノリは、600年以上にわたり家族経営を続けるイタリア屈指の名門ワイナリーです。しかし、その歴史は単なる伝統の継承だけではありません。時代の変化に向き合いながら革新を重ね、世界を代表するワイン企業へと成長してきました。
その転換点となったのが、醸造家レンツォ・コタレッラの存在です。畑づくりから醸造、さらには経営にまで深く関わり、アンティノリを新たな時代へ導きました。「Mr.イタリアワイン」こと宮嶋勲さんに、その軌跡と成功の理由をひもといていただきます。
解説してくれるのは、宮嶋勲さん
京都府出身。東京大学経済学部を卒業後、1983 年から1989 年までイタリア・ローマにて新聞社に勤務。イタリアと日本を行き来しながら「ワインと食」をテーマに執筆活動を行う傍ら『ガンベロ・ロッソ・レストランガイド』の執筆にも携わり、同日本語版の責任者を務める。また、ワインセミナー講師や講演活動も行っている。
第一回はこちら
アンティノリはいかにして世界的企業に発展したのか
600年を超す歴史を誇り、27代続く家族経営のアンティノリ。ただ全てが順風満帆というわけではなかった。
ティニャネロやソライアの成功によりイタリアワイン近代化を推進する主役としての地位を固めたアンティノリだが、名声が高まり、ワイナリーの規模が大きくなるにつれ、従来の家業としてのワイン造りから近代的ワインビジネスへと転換する必要に迫られていた。
品質を高めるためには巨額の投資が必要となり、ピエロ・アンティノリは外国のパートナーを受けいれることを決める。
1988年にイギリスのアルコール飲料・レストラン・ホテルグループであったウィットブレッド社に株式の49%を売却したのだ。
しかし、これが大誤算で、何十年という長期の視野を持って品質を高めていくワイン生産者と、短期的な利益と株主への配当が求められる上場企業とでは、経営哲学や方針が全く異なり、すぐに衝突が起こった。
そこで自分たちが望むワイン造りを貫くために、1991年に巨額の資金を投じてウィットブレッド社が所有する全株式をすべて買い戻すことにした。
そのために巨額の借金を背負うはめになる。本社があった歴史的建物パラッツォ・アンティノリや個人の資産も全て担保に入り、まさに背水の陣からの再出発であった。
25代目当主であるピエロ・アンティノリ侯爵は家族経営を守りながら、ワイン造りの近代化に取り組む。それを支えたのが1993年にタキスの跡を継いで醸造責任者となったレンツォ・コタレッラである。
明確なテロワールの個性を持ったワイン造りへの転換
最初に取り組んだのは大規模なブドウ畑の改植だ。
当時の畑にはまだ「質より量」だった時代の痕跡が残っていた。クローンも大量生産向きのものが植えられていたし、ヘクタールあたりの植樹数も少なかった。
それを、優良クローンを使用して、密植で植え替えていったのだ。タキスが醸造の魔術により世界を魅了する美味なるワインを造ったとしたら、レンツォは畑を改良し、美味しいだけでなく明確なテロワールの個性を持つワインへと移行しようとしたのだ。
その好例がティニャネロ農園の改植だ。ティニャネロ農園はサン・カシャーノ・ヴァル・ディ・ペーサ村にあり、165ヘクタールのブドウ畑のうち52ヘクタールがティニャネロ、20ヘクタールがソライアの畑だ。
独自のテロワールを持つ農園だ。畑の標高は350~400mと高めで、南西向きの急な傾斜で、日当たりがよい。丘の頂上には森があり、気候をやわらげると同時に乾燥した夏でも適度な湿気を保ってくれる。
西側に開いた丘陵なので西から冷涼な風が吹き込む。土壌はキャンティ・クラッシコ地区の典型的な石灰岩とガレストロの表土が70~80cmあり、その下に粘土の層がある。
水はけがよく乾燥しているが、根が粘土の層に到達するとブドウは干ばつに苦しむことなく、ゆっくりと安定して成熟する。貧しい土壌なので樹勢は弱い。濃厚なワインではなく、優美なワインが生まれるテロワールだ。
問題は冷涼で、雨が多いヴィンテージにフェノール類が十分に成熟しないことだ。ビロードのような口当たりが魅惑的なティニャネロだが、基本的に厳格なテロワールなのだ。
アンティノリではすでに1950年代頃からサンジョヴェーゼのクローン選別に取り組んでいて、自社畑から最良のクローン8種類を選別していたのでそれを中心に植えた。
ユニークなのは畑に多くある石灰岩を細かく砕いてブドウの樹の下に敷き詰めたことだ。冷涼だが日当たりが良いティニャネロ農園の特徴を最大限に活かしたのだ。
白い石が光を反射するので、ブドウの葉は下からも光を受け、光合成が進む。それによりフェノール類の成熟が安定して得られるようになった。また光を反射するので表土が暑くなりすぎず、日中のブドウの房の周りの温度が1~1.5℃下がった。
それにより糖度の成熟がゆるやかになり、アルコールが高くなりすぎることを避け、ワインは優美になった。
レンツォがアメリカのワシントン州のリンゴ栽培農家が木の下に白い布を敷いているのを見て思いついたそうだ。
石灰岩はとても硬く、莫大な手間とコストがかかったが、デリケートな果実味と繊細なタンニンを得られるようになった。何よりもティニャネロ農園のテロワールがより明確に出るようになった。
醸造に関しては、それぞれの畑、区画に合わせたオーダーメイドを心掛けるようにした。
それぞれの区画のブドウを最高の成熟を待って収穫し、別々に醸造し、細心の注意を払って、それぞれのブドウに適した抽出をするのだ。
例えばティニャネロ用タンクは150hl(2ha強の畑のブドウを醸造)、ソライア用タンクはさらに小さく60hl(1haの畑のブドウに対応)だ。区画に合わせてタンクのサイズを決めている。
タンクが円錐形をしているのはピジャージュ※を行うため。タンニンが厳格になりがちな農園なので、デリケートな抽出を心掛けている。
ソライアはマロラクティック発酵後に試飲してから、そのヴィンテージの特徴に合った熟成用バリックを注文するという念の入れようだ。
他の農園でも同じくそれぞれの畑に最適の栽培、醸造を進めることにより、それぞれのワインにテロワールの個性が鮮やかに反映されるようになり、ワインの評価はさらに高まった。
ソライアの1997年ヴィンテージがワイン・スペクテーター誌により2000年の「ワイン・オブ・ザ・イヤー(世界第1位)」に輝いたのはその一例である。
※ピジャージュとは……赤ワインの発酵中に、タンク上部に浮かんできた果皮や種子の層=「果帽(かぼう)」を、棒などで果汁の中へ押し沈める作業
経営改革と企業再生
すでに述べたようにレンツォは1993年にアンティノリの醸造責任者に任命された。
ただ、1991年にウィットブレッド社が所有する全株式をすべて買い戻すために、莫大な借金を抱えてしまったアンティノリ社にとって、経営を合理化して、利益を出し、借金を返済することが最重要課題であった。
醸造責任者といっても、コストを考慮せず、職人的に理想のワインを追求しているだけでは成り立たないのである。
レンツォは経営にも驚くべき才能を発揮する。
優れた勘と職人技にたよるワイン造りから、データと科学に基づいたワイン造りへの移行を進め、全てのワイナリーのワインの品質を安定させた。
同時にティニャネロ、ソライアをはじめとする高級ワインのブランド価値を高め、高値で取引されるワインとして定着させた。
そのことによりワイン1本あたりの利益率を劇的に高めたアンティノリは莫大な借金を完済し、潤沢なキャッシュフローを持つ優良企業へと生まれ変わったのである。それと同時にアンティノリは誰もが欲しがる高級ラグジュアリーブランドとなった。
レンツォの経営能力を高く評価したピエロは、1998年にレンツォを経営にも深く関わるジェネラル・マネージャーに、2005年にはCEOに任命する。
600年以上の歴史を誇る名門貴族の家族経営のワイナリーで血縁関係のない外部の人間、しかも醸造家が経営のトップに就任するというのは異例の大抜擢だった。いかにピエロがレンツォを深く信頼しているかがわかる。
ピエロの信頼に答え、レンツォはアンティノリ社の優れた産地への拡大に尽力する。
「トスカーナだけに依存していては企業として生き残れない」という意識を持っていたピエロは早くから他地域、他州、世界への進出を視野に入れていた。
1985年にはボランジェ、ウィットブレッド社と共同でナパ・ヴァレーの東側に位置する山岳地帯アトラス・ピークにアトラス・ピーク・ヴィンヤーズを立ち上げた。
ただ1991年にアンティノリがウィットブレッド社から独立したことで、関係がこじれて、ジョイントベンチャーは頓挫する。
アンティノリは他パートナーのシェアをすべて買い取り、自分のワイナリーとする。ただ、ここで大失敗をやらかしてしまう。ティニャネロの大成功の再現を夢見たピエロはサンジョヴェーゼを大量に植えたのだ。
ただカリフォルニアのテロワールにサンジョヴェーゼは適しておらず、ワインは酷評され、全く売れなかった。莫大な借金を抱える中での大誤算で、経営危機ともなりかねない事態であったが、ここからがアンティノリの真骨頂だ。
科学の力を借りて土壌分析を行い、この地にはカベルネ・ソーヴィニヨンとシャルドネであるという結論に至り、植えたばかりのサンジョヴェーゼを全て引き抜き、カベルネ・ソーヴィニヨンなどの国際品種へ植え替えたのだ。
しかも納得できる品質のワインができるまで14年間も自社名義のワインをリリースしなかった。Antinori in California(カリフォルニアのアンティノリ)の頭文字を取ったアンティカ(ANTICA)のワインがリリースされたのは2007年のことだ。
とことん品質にこだわり、長いスパンで経営を考えることができるのは、パートナーに配慮する必要がない家族経営だったからである。
1994年には1989年から経営参加していたピエモンテの名門プルノットを完全に手中に収める。
1995年は重要な年で、モンタルチーノのピアン・デッレ・ヴィーニェを買収し、念願のモンタルチーノ進出を果たす。
またマレンマ地方内陸部のソヴァーナにファットリア・アルドブランデスカを買収し、トスカーナ各産地への拡大を始める。
この年にはアメリカワシントン州の大手のサン・ミッシェル・ワイン・エステーツと50%ずつ出資し合う形でジョイントベンチャーを立ち上げ、レッドマウンテンAVAにカベルネ・ソーヴィニヨンを主体としたプレミアムワイナリー、コル・ソラーレ(Col Solare)を設立する(2024年にアンティノリが全ての株式を取得し完全子会社化)
1998年にはまだ知られざる産地であったプーリアの潜在力を見抜き、トルマレスカを設立する。
1999年にはマレンマ地方海岸部にフォットリア・レ・モルテッレを取得、同時にフランチャコルタでモンテニーザを設立する。
2000年代に入るとフィレンツェ郊外のフィエーソレの丘の高地を開拓し、冷涼な気候を生かしたモンテローロのプロジェクトが始動させる(2007年ヴィンテージからは、トスカーナでは珍しいリースリングによる白ワイン「メッツォ・ブラッチョ」の生産を開始)。
2003年には南米チリに進出、名門アラス・デ・ピルケと共同経営を開始する(2017年に完全買収して、畑を全て有機栽培に転換)。
2012年は特に重要な年で、ファミリー・トラスト(家族信託)を設立。これは将来に一族の資産やワイナリーが分割・売却されるのを防ぎ、永久にアンティノリ家によって運営されることを保証するための枠組みだ。
ウィットブレッド社の資本参加の失敗で、家族経営であることの重要性を思い知ったピエロが3人の娘たちにアンティノリを継承するに際して考え出した仕組みである。
この年には巨大醸造所アンティノリ・ネル・キャンティ・クラシコが完成した。超未来的建築で、レストラン、ワインショップを備え、ワイン観光の拠点となっていて、年間5万人の訪問客がいる。
世界的企業となった今もなお揺るがない信念
その後も目覚ましい勢いで拡大は続く。
2014年にはガイオーレ・イン・キャンティに位置するファットリア・サン・サーノ、2017年にはカステッリーナ・イン・キャンティに位置するファットリア・ディ・カプライアを買収。2020年にはサン・カシャーノ・ヴァル・ディ・ペーサに位置するヴィッラ・デル・チリアーノを別家から買い戻した。
この3つの土地は2024年にキャンティ・クラッシコ・グラン・セレツィオーネとしてリリースされる。
2021年にはイタリア白ワインの最高峰の一つ、フリウリ州のイエルマンを買収し、ワイン界に衝撃を与えた。
さらなる驚きは2023年のナパ・ヴァレーの伝説スタッグス・リープ・ワイン・セラーズの完全買収である。2007年から15%資本参加していたが、世界で最も有名なワイナリーの一つを完全に手に入れたことは30年にわたるピエロ・アンティノリとレンツォ・コタレッラの二人三脚の歩みの一つの到達点としてはまさに相応しいだろう。
2022年には地中海の離島カプライア島の旧農業刑務所跡地でプレミアム白ワインを造るプロジェクトを始めているし、2024年にはマレンマ地方にある歴史的巨大農園ラ・パッリーナを買収している。
現在アンティノリ社のグループ年間売上高は約3億9500万ユーロで前年比14%という驚異的伸びを示している。
世界中のブドウ畑を合わせると約3350ヘクタールという巨大企業に成長したアンティノリだが、その中心となるのは低価格〜中価格帯のカジュアルワインではなく、プレミアムワインである。
600年という歴史と伝統はあるもののキャンティ・クラッシコ地区とオルヴィエート地区だけでワイン造りをする中規模のワイナリーだったアンティノリ社は、わずか60年で世界的ワイン生産者に成長した。
巨大な優良企業となった今でも「自社畑で、自らブドウを丁寧に育てて、最新の注意を払って醸造する」という基本は一切ぶれていない。
高級ラグジュアリーブランドとなっても、アンティノリのワインにはテロワールの息遣いが明確に感じられるのである。
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