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第5回:世界の偉人が愛したワイン

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公開日 : 2026.9.7
更新日 : 2026.9.7
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第5回:世界の偉人が愛したワイン

グラスを傾けながら「こんな話があるんだけど…」と、つい誰かに話したくなる。そんなワインのささやかなお話をお届けするコラム、ワインのネタ帖。


ワインを愛してやまない語り手・葉山考太郎さんが、ワインにまつわる逸話や裏話などをくすっと笑えるユーモアとともに紐解きながら、「頭で味わうワイン」の楽しさをご紹介します。


さて、偉人を偉人たらしめたものは何でしょうか。才能、努力、運命――そして、もしかしたらワインかもしれません。


ダ・ヴィンチ、ベートーヴェン、チャーチル、マリリン・モンロー。歴史に名を残した人々もまた、ワインを愛し、その魅力に惹かれていました。


今回は、ワインとともに語り継がれる13人の偉人たちの物語をご紹介します。

葉山考太郎さん


シャンパーニュとブルゴーニュを愛するワイン・ライター。 ワイン専門誌「ヴィノテーク」、「神の雫(モーニング)」等にコラムを執筆。 2010年にシャンパーニュ騎士団オフィシエを受章。 主な著書は「クイズでワイン通」「今夜使えるワインの小ネタ(以上講談社)」、「30分で一生使えるワイン術(ポプラ社)」など

芸術家たちが愛したワイン

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年-1519年)

『最後の晩餐』を描いた謝礼として、ミラノ公からブドウ畑を一区画、拝領する。畑は1943年の空襲で焼失したが、2015年、DNA鑑定の結果、マルヴァジアであることが分かり、植樹して復活した。


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年–1827年)

臨終の床に届いたのは、注文していたラインワインの木箱だった。ひと目見て一言、「残念、残念、遅すぎた」。楽聖の最期の言葉は、神でも音楽でもなく、間に合わなかったワインへの未練だった。


アーネスト・ヘミングウェイ(1899年–1961年)

作家の中で、シャトー・マルゴーを最も愛したのがヘミングウェイ。簡潔で緊張感のある文体ゆえ、ハードボイルドの父と言われたヘミングウェイは、反対に、繊細でエレガントなマルゴーを好んだ。シャトーに逗留したこともあり、孫娘にして俳優のマーゴ・ヘミングウェイは、ヘミングウェイが命名。綴りもワインと同じ「Margaux」。


サルバドール・ダリ(1904年–1989年)

シュルレアリスムの奇才は、1977年、ワイン本、『ガラのワイン』を世に出した(ガラは、奥さんの名前)。ワインを産地や味ではなく「官能」で分類し、絵画とエロスとブドウを一冊にまとめた「世界で最も美しいワイン本」。イラストやリトグラフが140点以上あり、最近、タッシェン社から復刻版が出た。ダリにとってワインは、飲むものではなく、「酔う芸術」だった。姉妹書に『ガラの晩餐』もある。

歴史を動かした人物たちとワイン

フリードリヒ・エンゲルス(1820年–1895年)

「共産党宣言」の共著者なので、貧者の味方の印象があるが、実家はマンチェスターの紡績工場主という筋金入りのブルジョワ。労働者の解放を説きながら、地下には142ケースのワインを寝かせていた。「共産党宣言」のもう一人の著者、カール・マルクスの娘に「あなたの幸福は?」と問われ、エンゲルスは「シャトー・マルゴー1848年」と答えた。革命家の理想は、ボルドーの1級格付けの赤だった。


ウィンストン・チャーチル(1874年–1965年)

鉄の宰相が愛したシャンパーニュは「ポル・ロジェ」。あと3週間で70歳になるタイミングで、ポル・ロジェ家の当主夫人、オデットと出会い、美しい夫人に魅了されたチャーチルは、その場でポル・ロジェを大量に注文したという。チャーチルが「宣伝部長」になったおかげで、ポル・ロジェは、度重なる不運で傾いたビジネスを持ち直し、同社の最高級シャンパーニュにチャーチルの名前を冠した。なお、同社の本社の現在の住所は、「1 Rue Winston Churchill, 51200 Épernay, France(ウィンストン・チャーチル通り1番地)」


ヨシフ・スターリン(1878年–1953年)

鉄のイメージとは裏腹に、愛したのは出身地、ジョージアの甘口の赤「フヴァンチカラ」。強権的な統治で知られるスターリンが、夜ごとグラスに求めたのは、ほんのり甘い故郷の味だった。恐怖政治の裏の顔は、実は甘党だった。


シャルル・ド・ゴール(1890年–1970年)

第二次世界大戦の英雄、ド・ゴール将軍が愛したのは、故郷コロンベに近いオーブ県ユルヴィルの名門シャンパーニュ「ドラピエ」。ドラピエは現在も、ド・ゴール将軍への敬意を込めた『キュヴェ・シャルル・ド・ゴール』を生産している。ちなみに、ローラン・ペリエのトップ・キュヴェ、「グラン・シエクル」は、ド・ゴールが命名したことで有名。

世界のスターを魅了したシャンパーニュ

マリリン・モンロー(1926年–1962年)

シャンパーニュ好きのモンローは、中でも、「パイパー・エドシック」を愛した。『“To Piper, My Favorite”―私のお気に入りは、パイパー・エドシック』という有名な言葉が残っているほど。


マドンナ(1958年–)

ポップの女王が公演の楽屋にワイン・クーラーを持ち込み、欠かさず冷やしていたシャンパーニュが「アムール・ド・ドゥーツ」。「愛」を意味する高級キュヴェ。セクシー路線で世界を挑発し続けた女王の舞台裏には、「愛」という名の泡がそっと控えていた。

日本の偉人たちも愛したワイン

織田信長(1534年–1582年)

日本で最初にワインを飲んだ人物とも言われるのが、新しいもの好きの信長。ポルトガルの赤ワイン「珍陀酒」を飲んだという説がある。ただし、記録には残っておらず、戦国時代のロマンから生まれた「幻のワイン・ストーリー」の可能性がある。


豊臣秀吉(1537年–1598年)

1588年、博多でイエズス会の日本副管区長ガスパル・コエリョが、九州から戻る秀吉を南蛮の船に迎え、糖菓とポルトガル産のぶどう酒でもてなす。1594年には、伏見城でフィリピン諸島長官の使者としてやってきた宣教師の一行が、秀吉に謁見し、葡萄酒を二樽献上。飲んだ記録と贈られた記録が史実として残っている。


徳川家康(1543年–1616年)

1611年、スペイン国王の大使セバスティアン・ビスカイノが家康に謁見した際、葡萄酒二樽(シェリーと赤ワイン)を献上。1613年には、英国東インド会社のジョン・セーリスが、駿府の家康に「甘い葡萄酒」を含む数々の品を贈っている。史実として残るもっとも古いシェリーがこれ。


明治天皇(1852年–1912年)

デザート・ワインの帝王、シャトー・ディケムを最初に飲んだ日本人として、同シャトーのウェブサイトに載っているほどのお酒好き。日本酒もワインも毎晩欠かすことはなく、侍医から「せめて一晩に一本まで」と諌められたという。近代日本を築いた明治の帝は、夜ごと和洋のお酒をお召し上がりになった。


宮沢賢治(1896年–1933年)

昭和初期、自分でワインを「発明」した。その名も「電気葡萄酒」。電気を使ったものではない。「電気」は当時の最先端のスタイリッシュな流行語であり、今なら「ハイパー」や「ハイテク」辺りかも。黒豆の煮汁に蜂蜜、クエン酸、焼酎、ぶどうエッセンスをブレンドしたもの。ワインは高価で買えないため、自分で作った。名前は最先端、中身は素朴な手作り。

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