ワインが飲みたくなる小説『味(Taste)』

欧米の小説や映画には水やミルクは出てこなくても、ワインやお酒は必ず登場します。今回は、ボルドーの赤ワインが、スタイリッシュに、そして、印象的に出てきて重要な役割をする小説を紹介します。

映画にワインが登場する場合「映画を見てから、そのワインを飲む」と「ワインを飲んでから見る」という二つの楽しみ方があります。小説の場合、さらに「ワインをゆったり飲みながら本を読む」が可能になります。また、ワインをプレゼントする場合「本と一緒に」という物凄く印象に残るオシャレな演出もできますね。

大昔、ボルドーは英国領だったこともあり、ボルドーの赤ワインを主役にした小説では「イギリス製」は最強ですね。

ワインとミステリーの両方が好きな人に「ワインが出てくる小説のトップはどの作品?」と質問すると、圧倒的な1位は、英国人ロアルド・ダールが1948年に書いた短編小説集『あなたに似た人(Someone Like You)』の冒頭に収録した『味』で決まりです。

今回紹介する小説

『味(Taste)』

著者は元戦闘機のパイロット

ダールは、第二次世界大戦中、英国空軍の飛行士として北アフリカ戦線で戦闘機に乗っていました。敵機を5機も撃墜した、いわゆる「エース・パイロット」のエリートです(*1)。190cmを越える大男だったので、操縦席ではかなり窮屈だったことでしょう。

空軍パイロット上がりの小説家は世界的にも非常に珍しく、私の知る限り『星の王子さま』のアントワーヌ・ド・サンテグジュペリ(*2)と、『かもめのジョナサン』を書いたリチャード・バックの3人だけです。

日本でダールと言えば、児童小説『チャーリーとチョコレート工場』で物凄く有名ですが、ミステリー好きの私には、いわゆる「奇妙な味」系の大人ミステリーの神様です(実は、日本を舞台にしたジェームスボンド・シリーズ、「007は二度死ぬ」の脚本も書きました)。

ダールの「傑作短編のトップ3」は、今回取り上げる『味』、オイル・ライターの着火によるギャンブルがテーマの『南から来た男(*3)』、意外なモノで人を殺した『おとなしい凶器』でしょう。

(*1)アニメの巨匠、宮崎駿はロアルド・ダールの大ファンで、『紅の豚』はダールへのオマージュと言われています。

(*2)ボルドー地方、メドックの地区のマルゴー村にある3級の格付けシャトーの名門がマレスコ・サンテグジュペリ。『星の王子さま』の作者にして偵察機のパイロットだったアントワーヌ・ド・サンテグジュペリは、同シャトーの創立者の曾孫。世界の各国で開催する同シャトーのプロモーションでは、当該国の『星の王子さま』の翻訳本を必ず配ります。

(*3) この小説にモチーフを得たのが、ホテルの四つの部屋の出来事を繋げたオムニバス映画、『フォー・ルームズ』の中の『第4話:ハリウッドから来た男』です。これは、鬼才、クエンティン・タランティーノが主演・監督した作品。冒頭で、タランティーノ扮するハリウッドの敏腕ディレクターが、ルイ・ロデレールの逸品、「クリスタル」をラッパ飲みするシーンが何度も出てきます。これは、「あぁ、もったいない」と思わせるためのタランティーノ監督の演出です。

あらすじ

ワイン愛好家から圧倒的な支持を得る『味』は、美食好きの大富豪と、病的なまでのワイン愛好家が目隠し試飲で賭けをする話です。大富豪がボルドーの赤ワインを選び、ワイン愛好家がそれをブラインドで飲んで、シャトー名と生産年を当てるという上流階級の優雅なギャンブル。

ワイン愛好家がズバリ当てれば大富豪の娘を嫁にもらう、ハズせば自分が所有する邸宅を2軒差し出すというもので、私だけでなく通常のワイン愛好家なら、絶対に受けない厳しい条件のテイスティングです。

大富豪が選んだワインは、シャトー・ブラネール・デュクリュ1934年。ブラネール・デュクリュは、1855年のメドックの格付けで4級になった名門シャトーで、ボルドーのサン・ジュリアン村にあります。

世界の赤ワインの双璧が「ボルドー」と「ブルゴーニュ」ですね。

日本で例えるとボルドーは東京、ブルゴーニュは京都・大阪・神戸だと思っています。ボルドーのメドック地区は最も威張っていて、東京都の23区に相当します。

ラフィット、ラトゥール、ムートンという超一流シャトーを擁する派手で豪華なポイヤック村が港区、エレガントなマルゴー村が銀座の中央区なら、今回登場する「ブラネール・デュクリュ」が位置するサン・ジュリアン村は、端正で気品のある千代田区の雰囲気があると思います。

ブラネール・デュクリュは61しかない格付けシャトーのエリートですが、五大シャトーと違い、1本1万円前後で買えます。知名度が少し低い分、コストパフォーマンスは抜群。端正で柔らかく溌剌としています。中学校の新任の音楽の先生という感じでしょう。

ブラネール・デュクリュ

さて、現実の目隠し試飲(プロ用語で、デギュスタシオン)では、どの程度正解するのでしょうか?

日本や世界のトップ・プロが競うソムリエ・コンクールを何回か取材したことがあります。コンクールのデギュスタシオンでは、5、6種の赤白ワインを試飲し、色、香り、味わい、ブドウ品種、生産地、提供温度、合わせる料理、価格帯をコメントし、最後に「シャトー・パルメ2003年」のように、銘柄と生産年を推測するのですが、銘柄をズバリ正解する確率は、宝くじで1,000万円が当たるより低いでしょう。

まず外れますし、選手も当たるとは思っていません。それどころか、ブドウの品種もハズすのは当たり前。なので、ソムリエ・コンクールでのデギュスタシオンの優勝は、銘柄が当たるかではなく試飲コメントが的確かどうかで決まります。

『味』では、ワイン愛好家が赤ワインを口に含み、イギリス人らしく、シェークスピア俳優のように、ねっとり細かくコメントします。小説では、7ページに渡って、そんな試飲コメントが延々と続き、最後にズバリ「シャトー・ブラネール・デュクリュ1934年」と当ててしまうのです。

少しずつシャトーを絞り込む過程が秀逸で、実によく書けています。ロアルド・ダールは、相当のワイン好きでしょう。シャトー名とヴィンテージを正しく当てた後、お約束の大どんでん返しがありますので、是非、手に取ってお読みください。

ワイン愛好家は、この小説を読まずに死ねません。全部で29ページの短編ですので、1ページでブラネール・デュクリュを10cc飲むとすると、半分飲んだ辺りで読み切ります。

3人が翻訳した『味』の違い

『味』は、ストーリー自体が面白いだけでなく、英語から日本語への翻訳でも、これまで3人が訳した非常に興味深い経歴があります。

初代 :田村隆一訳(1957年、早川書房)
二代目:渡辺真理訳(1998年、心交社)
三代目:田口俊樹訳(2013年、早川書房、新訳)

初代の訳は、詩人にして翻訳家として有名な田村隆一が1957年に訳しました。当時、日本にワイン文化は10ccも存在していません。赤玉ポートワイン(現在の赤玉スイートワイン)が全盛のころで、日本人は「夜は暗い、空は青い、赤ワインは甘い」と信じていました。現在はワイン愛好家にとって常識語である「1級格付け(英語で、first growth)」という言葉さえ存在せず、田村は自分で「第1栽培」という言葉を作りました(とても、雰囲気の出た訳語で、さすが、田村は詩人ですね)。

文中のワイン用語が今とは大きく違い、正倉院の古文書を見る趣きがあります。昔は、「コンピュータ」を「電子頭脳」と表現した感じでしょうか?

田村が死去した1998年、渡辺真理訳で『ワイン通の復讐』と改題され、ワイン用語が現代風になりました。

二代目となった本篇は、酒に関するミステリーを収めた短編集の冒頭の作品で、エドガー・アラン・ポーの『アモンティリャードの樽』、スタンリー・エリンの『最後の一瓶』など、全部で12編、ちょうど1ケース分のミステリーを収めています。12人のフリーの翻訳者が、自分の好みのミステリーを1話ずつ訳したもので、翻訳者の個性を感じ「同じ村の生産者ちがい」のような雰囲気があります。

2013年、初代の新訳として同じ早川書房から田口俊樹の訳による『味』が出ました。この2人の翻訳の違いは、文中の「ワイン愛好家」の以下のテイスティングコメントのように、翻訳者の個性を感じます。

初代、田村隆一の訳

「とても上品なワインだ。一口目は慎み深く、はにかんでいるが、二口目は恥じらいながらも愛想のいいところが現れる。ちょっとお茶目なのかもしれない。二口目には少しばかりいたずら好きなところが出てきて、舌をからかうような、かすかな、そう、かすかなタンニンを感じる」

三代目、田口俊樹の訳

「これはとてもやさしいワインだ。最初の一口は恥じらうようにひかえめで内気な感じがするが、二口目になると、かなり鷹揚な感じに変わる。ちょっとしたお茶目。そう、二口目にはそれが感じられる。それに、ちょっといたずらっぽい面も見せる。舌に痕跡を残してからかうのだ。タンニンの痕跡を残して」

初代の『味』は、二代目の渡辺、三代目の田口の翻訳を経て、ワイン用語や固有名詞は、ほぼ完璧になります。田村、渡辺、田口の訳を比べるのは、一種の「垂直試飲」ですね。熟成するのはワインだけではないと感じます。

ブラネール・デュクリュをこの書籍とセットでプレゼントしても合計1万円程度。ミステリー好きとワイン好きの両方に、とても喜んでもらえると思います。

今回小説に登場したワインはこちら