「ムートン美術館物語」その3-1946年 ジャン・ユーゴー-

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公開日 : 2018.7.20
更新日 : 2023.7.12
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毎年、ラベルのデザインを変えることで世界的に有名なのが、ボルドー、メドック地区の1級シャトー、ムートン・ロスチャイルド。

そのラベルの絵を1つずつ紹介する。今回は、ラベルにアートが初めて登場した1945年の翌年となる1946年のお話し。

目次

アート・ラベル第2号はジャン・ユーゴー作

1946年のラベル

ムートン1946年 ジャン・ユーゴーのラベル

ラベルを描いたのはジャン・ユーゴー(1894-1984)で、フランス人画家だ。ジャンは先祖代々、芸術家の家系に育った。一族で圧倒的に有名なのが曾祖父のヴィクトル・ユーゴーで、『レ・ミゼラブル』や『ノートルダム・ド・パリ』を書いた世界的人気作家。

ヴィクトル・ユーゴーは、日本では作家として有名だが活動範囲は物凄く多彩で、詩、脚本、随筆、絵画、政治でも活躍した。バルザックみたいに豪快な雰囲気があるが意外に小心者で、『レ・ミゼラブル』の出版直後、ユーゴーは売れ行きが気になり、旅行先から、出版社へたった1文字「?」と書いた手紙を送ると、出版社から「!」と返事が届く。

要は、「たくさん売れてます」との返事で、これが世界で最も短い手紙のやりとりと言われている。

そんなヴィクトル・ユーゴーの曽孫に当たるジャン・ユーゴ―は、パリに生まれ、幼少時代から独学で絵を描き、エッセイも書いていたらしい。長じて、画家、イラストレーター、装丁家、舞台デザイナー、小説家として活躍し、曾祖父と同じく、「守備範囲の広い芸術家」になった。

ジャン・ユーゴ―が有名になったのは、フランスの世界的詩人、ジャン・コクトーが監督したバレエ、『エッフェル塔の花嫁花婿(Les Mariés de la Tour Eiffel)』で、舞台衣装のデザインを担当したことから。ジャン・ユーゴ―が27歳の時だ。

このコクトーのバレエは物凄く前衛的な作品で、1組のカップルが建国記念日(7月14日)にエッフェル塔の展望台で結婚式を挙げた時、式の最中にライオンが現れて来賓を食うという筋立て。あまりに意味不明なので、コクトーが舞台の袖から、大声を上げて状況を説明したらしい。

ジャン・ユーゴーは、文化人で、ジャン・コクトー、マルセル・プルースト、エリック・サティ、パブロ・ピカソのように、いろいろな分野の芸術の超有名人と親交があった。また、シャトー・ムートン・ロートシルトのフィリップ男爵自身も脚本家であり詩人で、文化サロンの常連。ジャン・ユーゴーとはサロンで知り合った。

前回の本コラムでも書いたが、商業画であるワインのラベル絵は、絵画という「階層」の中ではそれほど地位は高くない。

これはあくまでも私の推測だが、当時、既に世界的に有名だった大御所のピカソには頼みにくかったので、友達であり、何でも屋のジャン・ユーゴーに声をかけたと推測する。

題材は平和のシンボル「鳩」

鳩

ジャンがムートンの絵を描いたのは52歳の時。息子が2人、娘が5人の子だくさんで、7人とも芸術の世界で活躍した。ユーゴー家は、曾祖父のヴィクトルの時代から、ずっと、「芸術一族」なのだ。

ジャンがムートンのラベルの真ん中に描いたのは、オリーブの枝をくわえて飛んでいる鳩。これは聖書に出てくる「ノアの方舟」を題材にしたものだ。

大洪水の40日後、ノアが方舟からカラスと鳩を放したが、留まるところがなくて戻ってくる。その7日後、2羽目の鳩を放したところ、オリーブの枝を掴んで帰ってきた。

洪水がおさまり、地上に平和が戻ったとノアは判断し、上陸を決意したのだ(小学生の時にこの話を聞いた私は、「洪水が治まったことは、見れば分かるんじゃない?」と罰当たりなことを考えていた)。

この一節がもとになって、「鳩は平和のシンボル」となる。1945年のラベル絵では、第二次世界大戦の勝利を祝い、翌年の1946年の絵では、平和を祈念している。「なるほど」と納得する流れだ。

当時のラベルの特徴

1945年のラベル絵を担当したフィリップ・ジュリアンは、4枚描いて、そこから「Vサイン」の絵をフィリップ男爵が選んだ。1946年は、ジャン・ユーゴーが1枚だけ描き、そして、初めから絵に「1946」と書き込んでいる。

1945年のラベル

ムートン1945年 フィリップ・ジュリアンのラベル

その後、どの年に誰の絵を使うかはシャトーが決めるようになった(例えば、サルバドール・ダリは、最初に描いた絵にしっかりと「1952」と書きこんだのに、後に「2」に筆を加えて「8」にし、1958年に変更されてしまう)。なお、ジャン・ユーゴーのラベル絵の左下に「Lavis inedit」、右下に「de j.Hugo」とあるは、「J.Hugoが描いた未発表の単色画」の意味だ。

当時のムートンのラベルには、今と違い、中央部にたくさん字が書いてあった。まずは、ムートンの羊のマークの上の半円状の文字は、「シャトー元詰め」を意味する。今は、「mis en bouteille au chateau(シャトーでボトルに詰めた)」と記載するけれど、ムートンの1946年のラベルには、「収穫したブドウはすべて、シャトーでボトルに詰めたぞ」と強調してあり、「toute la recolte mise en bouteilles au chateau」と書いてある。「ボトル」が複数形になっているところにムートンの気持ちがしっかりと出ている。

その下の6行に渡る長い文字列には、「この年のワインは、12本のジェロボアム(AからLで識別)、864本のマグナム(M1からM864で識別)、60,664本のレギュラー・ボトル(1から60,664で識別)、300本はシャトーでの保存用で『R.C.』と識別コードを書いた」とある。この番号や識別子以外は「ニセモノ」ということで、品質保証に対する並々ならぬ覚悟が見える。ちなみに、今のムートンの年産は、平均30万本であることを考えると、1946年の6万本は1/5で、かなり少ない(なお、「20世紀を代表する偉大なヴィンテージ」と言われた前年の1945年の生産本数は74,422本)。

1946年ヴィンテージについて

1946年は、ヴィンテージとして悪くはないが、偉大なヴィンテージである1945年と1947年に挟まれたのが不運だった。

イギリスの有名なワイン評論家、マイケル・ブロードベントは18世紀から現代まで、1万本以上のワインを試飲して評価した『Michael Broadbent’s Vintage Wine』の中で、ムートンの1945年に星6つ(最高が星5つなのに……)、1947年に星5つ、そして、1946年物には、「1989年に試飲した時、ブラインドで飲んで1947年物かと思った」とコメントし、星4つの高評価。

ジャン・ユーゴーは、日本の絵画愛好家の間では意外に有名で、1977年、ジャンが83歳の時に、上野の森美術館で、『南仏の愛と孤独 ジャン・ユーゴー展』が展示された。

まとめ

第二次世界大戦の勝利を記念した特別ボトルとして、1945年にアート・ラベルを採用したところ、意外に評判がよかったので1946年でも続行。

ムートンのフィリップ男爵も、絵を描いたジャン・ユーゴーも、後年にこれほど話題になり、熱烈なコレクターを魅了するとは思っていなかっただろう。1946年は、やっと精神的に平和を実感できた年。復興はこれからだ。ムートンの絵の鳩は、1本1本枝を集めて「復興の巣」を作るように思えてならない。

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