vol.8『アオノリにも色々あ
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作家・料理家。服部栄養専門学校卒業後、料理教室勤務や出張料理人などを経て、2005年『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、作家デビュー。作家として作品を発表する一方、料理家としても活動し、メニュー開発なども手がける。 主な著書 『スープの国のお姫様』(小学館) 『おいしいものには理由がある』(角川書店) 『最高のおにぎりの作り方』(KADOKAWA) 『ぼくのおいしいは3でつくる』(辰巳出版)
この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
「何を見ても何かを思い出す」。アーネスト・ヘミングウェイの短編小説のタイトルだけど、ぼくの場合は、食べたものをきっかけにして何かを思い出すことが多い。
料理人にとって、はじめて師事した人は印象深いものだ。ぼくの場合、十代の頃、修行していたレストランのシェフだろう。その店にはさらに上の立場の総料理長兼オーナーの人がいて、彼はその人の下で現場を取り仕切っていた。
大きな宴会が入った日、ぼくはシェフの仕事を横で手伝うことになった。その頃のぼくの仕事といえば、朝早くお店に行って掃除をし、みんなが仕事中に飲む麦茶を用意したり、賄いの朝ご飯をつくるのを手伝ったりするくらいだったので、驚いたものだ。
冷たいコンソメジュレを添えたサラダにハーブを添えるように言われたぼくが、黙々と作業を続けているとシェフに肩を叩かれた。
「なかなかいいじゃないか。センスがある」
一枚の葉っぱを乗せるだけにセンスなんか関係ないと思うが、ぼくを元気づけるつもりでそう言ったのかもしれない。ただ、次の日からぼくは通常営業でもシェフの付き人のような立場になり、仕事ーーー主に盛付けを手伝うようになった。先輩たちを横目に下仕事から開放されたので、すこし後ろめたさがあったが、そんな日々が数ヶ月続いた。シェフからは料理についていろいろなことを教えてもらった。
それから別のお店を紹介されたので、ぼくは店を離れた。
「辞めたいときもあると思うけど」仕事終わりにワインを飲みながらシェフは言った。「どんな立場になってもお前は料理を続けたほうがいいよ」
十年以上過ぎた頃、その人が亡くなったことを伝え聞いた。ずっと会っていなかったし、突然の知らせだったので、いまいち実感がなかった。ぼくはそれからいろいろな仕事を転々とし、現在に至る。
数年前、レストランのフェアで料理をする機会があった。メニューを書き、現場のスタッフに協力してもらい、ゲストに料理を振る舞う。その日、予定では脂の乗ったサワラの切り身をソテーし、赤ワインのソースを添える予定だったが、魚が届いてなかった。よくあるーーーけれど起こってほしくないトラブルである。
冷蔵庫を開けると前日使ったマグロの切り身があったので、それを使うことにした。マグロはサワラの感覚で焼くとぱさぱさになるので、短時間ソテーする。直前にふと思いついて、表面に胡麻をまぶすことにした。料理は好評だったので、ぼくは胸を撫で下ろした。仕事が終わった後、ソムリエがグラスに注いでくれた赤ワインをソース代わりにして、残った料理をつまんだ。
「胡麻がいいですね」とソムリエが褒めてくれた。「ちょっとしたことだけど、ステーキみたいな印象になる」
「このワインの酸味もその印象を際立たせますね」
ぼくがそう言うと「でしょう」とソムリエが深く頷いた。「ニュージーランド、マーティンボロのピノ・ノワールです」
ぼくは料理を食べた瞬間、はじめて修行したお店のことを思い出していた。たしかランチで似たような料理を出していた気がする。白身魚の表面にスパイスと胡麻をまぶして焼き、胡椒を効かせたソースをかけたものだ。普段は忘れているけれど、ふとした瞬間に料理が記憶の上に成り立っていると思い知る。
そのワインのラベルには月の満ち欠けが描かれていた。月が満ち、欠ける。その度に年月は過ぎていく。それとともにワインの味わいは変わる。月は満ちていても、欠けていても、いつもそこにある。人はいなくなってしまっても、消えてしまったわけではないのだ、と。
マグロのステーキ 胡麻風味
【材料】 (2人分)
・まぐろ(刺身用) 100g程度
・EVオリーブオイル 少々
・塩 ひとつまみ
・胡椒 適量
・白胡麻 適量
・ミニトマト 100g
・大葉 5枚
・オリーブオイル 大さじ1
・うす口醤油 小さじ1
・米酢 小さじ1
【作り方】
1.ミニトマトは半分に切り、大葉は包丁で粗く刻む。オリーブオイル、うす口醤油、米酢で和える。
2.マグロはオリーブオイルを塗り、塩を振り、片面に胡麻を押し付ける。高温に熱したフライパンにサラダ油(分量外)をひき、両面を1分程度、中心がレアになるよう焼く。皿に盛り付け、1のサラダを添える。
文・写真=樋口 直哉
今回ストーリーに登場したワインは…
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