君主は替われど、いざ鎌倉に備える律儀なシャンパーニュ「ランソン」

老舗メゾン、ランソンのシャンパーニュは、フレンチレストランやワインバーでよく見かける定番ですね。

ランソンと聞いただけで、「シャンパーニュで3番目に古いメゾン」「乳酸発酵をしていないので、酸が豊かで長期熟成する」「手間暇かけた作りが得意」「最近、単一畑のシャンパーニュを出した」など、いろいろなことが頭に浮かびます。そんな名門メゾンですが、実は、何度も親会社が替わりました。

アーネスト・ヘミングウェイが生涯で99回死にそうになり、葛飾北斎が99回引っ越しをしたとしたら、ランソンは99回親会社が替わります。お仕えする主君が替わろうと、心静かに律儀に修行に励む……。それがランソンの印象です。

メゾンの歴史

ランソンの創業は、ラベルにも書いてあるように1760年です。シャンパーニュ地方の中心地、ランスで裁判官や行政長官を歴任した名士、フランソワ・ドラモットが立ち上げました。

当初のメゾン名は「ドラモット」です。「名前がサロンの妹分の『ドラモット』に似てるけど、親戚筋なのかな?」と思った人は鋭い。実は、ランソンとドラモットは、親戚以上に親密な関係で、途中まで一心同体の「一卵性双生児」でした。

ドラモットの会社概要を見ても、「1760年にフランソワ・ドラモットが立ち上げた」とランソンと全く同じことが書いてあります。意外なところで意外なメゾンが繋がっていて、ビックリですね。

シャンパーニュ好きの友人に双子が生まれた場合、あるいは、友人が双子の場合、ランソンとドラモットをペアでプレゼントすると喜んでもらえそうですね(姉妹へのプレゼントは、サロンとドラモットのペアで決まりです)。

どんな会社でもそうですが、ロゴマークに「創立年」を入れるということは、「ウチは老舗です」の意味です。大小合わせて5,000もあるシャンパーニュのメゾンの中で(日本酒の酒蔵の数は1,500軒弱)、ランソンは3番目に古く、ルイナールの1729年、モエ・エ・シャンドンの1743年に次ぐ老舗です。

ランソンの設立年の1760年は、1789年のバスチーユ牢獄襲撃で始まるフランス革命に向かって、国民の不満が溜まっていた頃です。

日本では、後に93回も引っ越しをする葛飾北斎が生まれ、『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵がまだ15歳でした。江戸幕府の妖怪と言われた田沼意次が、第九代将軍、徳川家重、第十代の家治に取り入り、老中へ向かって着々と階段を上り、一方で、俳人の与謝蕪村が「菜の花や月は東に日は西に」「春の海ひねもすのたりのたりかな」と詠んでいた頃です。

フランスとは対照的に、日本は平和でした。

マルタ騎士団

ランソンの創立者のフランソワ・ドラモットの長男がニコラ・ルイで、マルタ騎士団の騎士でした。マルタ騎士団は、12世紀、エルサレムに遠征したあの有名な十字軍が元になっており、現在も存続する「国」です。

マルタ騎士団は、昔は、シチリア島の先にある小さなマルタ島が領土でしたが、1798年、ナポレオンにマルタ島を奪われてしまい「騎士」が難民化します。

(現在、マルタ騎士団は、国土はなく主権しかありませんが、ローマの「マルタ宮殿」に本拠を置き、94ヶ国と外交関係を締結しています。なお、現在のマルタ島にあるミニ国家、マルタ共和国とは別物です。)

十字軍と言えば、テタンジェ社のトレードマークにもなっていますね。剣を持ち馬に跨った騎士は、十字軍としてエルサレムに遠征したシャンパーニュ伯爵、ティボー4世の雄姿です。

(ティボー4世の十字軍遠征には、ドラマチックなエピソードが満載ですので、本コラムの「テタンジェ」もご覧ください。)

ナポレオンにマルタ島を奪われた1798年、マルタ騎士団の一員だったニコラ・ルイはシャンパーニュへ帰国します。それまで、父と次男でシャンパーニュを造っていましたが、長男のニコラ・ルイが事業を引き継ぎ、二代目となります。

(当時のヨーロッパは、「男性がエライ、特に、長男がエライ」が一般的です。)

ニコラ・ルイは、マルタ騎士団にいたことを非常に誇りに思っており、ランソン社のロゴマークに、騎士団の紋章(通称、マルタ十字)を取り入れました。

マルタ騎士団の紋章

ニコラ・ルイは、フランス革命後に結婚して、三人の娘をもうけます。当時、クリコ・ポンサルダン社のクリコ未亡人や、ポメリー社のルイーズ・ポメリーなど、シャンパーニュ地方では女性が大活躍していたのですが、ニコラ・ルイには、まだ、女性がビジネスをすることが考えられなかったようです。

1823年、娘ではなく、ジャン・バプティスト・ランソンに事業を譲渡し、ジャンが三代目となりました。1837年に二コラが亡くなると、ジャンは社名を自分の名前の「ランソン」に変えます。

「ドラモット」が「ランソン」に看板を替え、ドラモットが一時的に消滅しますが、ランソン家のマリー・ルイーズ・ランソン・ド・ノナンクールは、1927年にランソン・ペール・エ・フィスを引き継いだ折、ドラモットが復活させました。

1980年、それまで家族経営だったランソンをエティエンヌ・ランソンとピエール・ランソンが、グサヴィエ・ガルディニエに売却しました。

(ガルディニエは、1985年には、サンテステフ村の老舗、フェラン・セギュールを買収し、巨大な資本を投じて同シャトーを大改修しています。)

ここから、ランソンはジェットコースターに乗ってしまいます。

1984年には、ガルディニエ家とポメリー家が、BSN(Boussois-Souchon-Neuvesel:元はガラスを生産する会社でしたが、吸収合併を重ねて、最終的にはヨーグルトで有名な「ダノン」になります)に持ち株を譲渡。BSNは、1990年、ポメリーとランソンを31億フランでモエヘネシー・ルイヴィトン(LVMH)に売却します。

その直後、ランソンはマルヌ・エ・シャンパーニュへ電撃的に売却され、名前を「ランソン・インターナショナル」に変えました。悲劇だったのは、この売却で、ランソンがそれまでに所有していた200ヘクタールの銘醸畑をLVMHがそのまま保持したため、ランソンは自社畑を持たない『裸の王様』となってしまったことです。

2006年、ランソン・インターナショナルは、ボワゼル・シャノワーヌ・グループ(BCC)へ売却され、「ランソンBCCグループ」になりました。このグループのモットーは「シャンパーニュ100%のグループ」でした。この傘下には、ランソン、ベスラ・ド・ベルフォン、フィリポナ、ドゥ・ヴノージュ、シャノワーヌ、アレクサンドル・ボネ、ボワゼルがいます。

いざ鎌倉

いろんな企業のビジネス戦略に翻弄され、買収・売却されたランソン。「ジェットコースター状態」のランソンをビクとも動かないようにガッシリと支えたのが、ベルナール・ガスコとジャン・ポール・ガンドンの二人の最高醸造責任者です。

ベルナール・ガスコは、生え抜きの職人。ポメリーの現在の最高醸造責任者であるティエリー・ガスコはベルナールの息子です。ベルナールは、家族経営だったランソンがグザヴィエ家へ売却され、さらに、BSNが買収するという「激変の時代」を支えました。さあこれからという1986年に交通事故で逝去。急遽、ベルナールの後を継いだのが1972年からランソン一筋で働いてきたジャン・ポール・ガンドンです。ガンドンは1986年から2014年まで最高醸造責任者を務め、自社畑がなくなる危機も凌ぎました。「ランソンの品質の番人」として、ベルナールとガンドンがいなかったら、ランソンは激動の時代に耐えきれず、空中分解しただろうと言われています。

ベルナールとガンドンは、お仕えする君主が替われども、「いざ鎌倉」の緊急事態に備えて身体を鍛え、刀の手入れを怠らず、馬の世話もしっかりしている武士のように真面目で健気ですね。二代目のニコラ・ルイの律儀で忠義なマルタ騎士団の騎士道精神が生きています。

このためか、英国王室をはじめ、スペインのアルフォンス王室、スウェーデンのグスタヴ王室でも、ランソンを愛飲しています。

人生経験を積んだ「じゃじゃ馬オネエサン」

シャンパーニュ地方は、ブドウ栽培の北限を越えた寒冷地。日照と温度が足りないため、糖分や色素が乗りません。そんなブドウで普通にワインを造ると、とても酸味がキツくなります。しかし、いろんな畑のいろんなビンテージの白黒ブドウをブレンドすると、噛みつくような酸味が柔らかくなります。

これを発見したのがドン・ペリニヨンです。ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスのような堂々たる「テノール独唱」ではなく、「老若男女混成合唱団」のハーモニーの素晴らしさで勝負したのがドン・ペリニヨンのスゴイ功績です。

ブレンドによって、シャンパーニュのキツい酸味を柔らかくできたけれど、それでも、やっぱり酸っぱい。この酸味を少なくする醸造技術が、「乳酸発酵(プロは、マロラクティック発酵とか、MLFと呼びます)」。

これは、ワインの中のシャープな酸を乳酸に変える発酵技法です。昔は、自然まかせで乳酸発酵が始まったのですが、1970年代から、醸造学の超名門、カリフォルニア大学デイビス校の研究により、人工的に制御できるようになりました。今では、全シャンパーニュ・メゾンの95~99%は、乳酸発酵させています。

技術が進歩しても、ランソンは、大昔から、マロラクティック発酵を一切やらず、自然に酸が柔らかくなるまで待つ希少な生産者です。ランソンのように、敢えて乳酸発酵をやらない偏屈な生産者は、名門のルイ・ロデレールを筆頭に、サロン、ゴッセ、アルフレッド・グラシアン、エグリ・ウリエなど、超一流の生産者ばかり 。資金と時間に余裕がないと「乳酸発酵をやらない」は無理なのです。

乳酸発酵は、例えば、世間知らずで自分勝手な二十歳のオネエサンを2週間の「富士山麓人格改造セミナー」に放り込んで、円熟した性格に変えるようなもの。

一方、ランソンでは、年月をかけ、「じゃじゃ馬オネエサン」が社会勉強を重ね、トゲトゲのカドが取れて自然に丸くなるのを待つのです。なので、出荷までものすごく時間がかかります。

シャンパーニュの法廷熟成期間は「15カ月以上」ですが、ランソンではノンビンテージ物でも3年も寝かせて、「人生経験」を積んでいます。ヴィンテージ・シャンパーニュでは最低5年以上も熟成させます。

乳酸発酵を一切やらないランソンのシャンパーニュには、酸がたっぷりと残っているので、長期熟成に耐えます。熟成すると、すり潰したナッツ、紅茶、蜂蜜の官能的な香りが出るのです。

虹の色は6色?

中学校の音楽の時間に、「なぜ、1オクターブは8音なんだろう?」と不思議に思った人が多いでしょう。実は、日本の童謡や演歌では、1オクターブに6音しかありません。

4番目の「ファ」と7番目の「シ」の2音が抜けていて、いわゆる「ヨナ抜き音階」になっています。ピアノの鍵盤で「ファ」と「シ」を抜き、「ドレミソラドレミ」と1音ずつ上げて弾くと、北島三郎の『函館の女(ひと)』の出だしの部分になります。

ヨナ抜き音階を使うと、ほぼ強制的に演歌っぽくなるのですが、実は、『戦場のメリークリスマス』のテーマもこの音階を使っています。この曲のメロディーがエキゾチックで、なんとなくみそ汁の香りがするのは、これが原因です。

ヨナ抜き音階ではなく、2番目の「レ」と6番目の「ラ」を抜いて「ドミファソシド」にすると、今度は沖縄音階になります。また、同じく2番目の「レ」と6番目の「ラ」の両方を半音下げると、一転してアラビア音階に変身します。このように、1オクターブに5音しかないペンタトニック(5つの音の意味)は、民族音楽によく出てきます。

ピアノの鍵盤では、「ド」から「1オクターブ高いド」まで、鍵盤12個分の半音が並んでいます(白鍵が7個、黒鍵が5個)。人間が識別できる音程の差が半音だから、12個の鍵盤が並んでいるのですが、もの悲しい行進曲として有名なトルコ曲、『ジェッディン・デデン』には、半音の半分という微妙な音程を使っています。トルコの人は、4分の1音を識別できるのですね。

 

「では質問です。虹の色は何色でしょうか?」と聞くと、全員が「7色です」とか、「せき・とう・き・りょく・せい・らん・し」で、「赤橙黄緑青藍紫でしょ?」と答えますね。

虹の色の間には輪郭線がある訳ではなく、周波数の短い紫から長い赤まで無段階に変化しています。音程同様、要は、どれぐらい細かく色を識別できるかで、色の数が決まるのです。

日本では虹は7色ですが、アメリカでは6色(例えば、LGBTのシンボルであるレインボー・フラグは赤橙黄緑青紫の6色)、ドイツでは5色と考えている人が少なくないそうです。

レインボー・フラグ

ランソンの「レインボー・カラー」

虹色は世界各国で様々ですが、ランソンの「レインボー・カラー」は「黒桃アイボリー白緑金」の6色です。

この6色が、ランソンの基本になっています。「ランソンの6色」は、ちょうど1/2ケースとなる6本です。

ランソンの「レインボー・カラー」として、詰め合わせでプレゼントすると、物凄く喜んでもらえるでしょうね。以下、「黒桃アイボリー白緑金」を見ていきましょう。

ランソン・ブラックラベル・ブリュット

最初が「黒」です。「ランソンの6色」の中で、最も有名で「王道」がこの「黒ラベル」です。ランソンと言えば、まずこのブラックラベルが頭に浮かびますね。

ブドウのブレンド比率は、PN50%、PM15%、CH35%で、非常に潔いシャンパーニュです。優雅で上品な酸味をお楽しみください。

ランソン・ロゼラベル・ブリュット

2色目は、ロマンスの定番、「ロゼ色」です。PN53%、PM15%、CH32%で、ブラックラベルよりもドサージュの糖分が少ないのですが、少し南国っぽい雰囲気があります。

熟成期間も長いため、まさに「大人のロゼ」ですね。

ランソン・アイボリーラベル・ドミ・セック

3番目の色は「アイボリー」です。ランソン社のシリーズの中で珍しい「甘口の泡」です。デザートに絶好ですね。

甘くて少し苦みのあるチョコレートと、あるいは、正反対に、少し塩分の効いたスティルトンのようなブルーチーズと物凄くいい相性です。ブドウのブレンドは、PN50%、PM15%、CH35%と、黒ブドウが多めです。

ランソン・ホワイトラベル・ブリュット

4番目は「白」です。「白ラベル」ですが、ブラン・ド・ブランではなく、3種類の定番のブドウをPN37%、PM25%、CH38%でブレンドしました。

ランソン社の伝説的な醸造責任者であるジャン・ポール・ガンドンが2013年にリリースした「少し風変わり」なシャンパーニュです。このシャンパーニュの基本的なコンセプトは、単品で飲むのではなく、刻んだ果物、フルーツ・ジュース、ハーブをブレンドして飲むユニークなものです。良く冷やし、カクテルのようにお楽しみください。究極の「デザート用」ですね。

ランソン・グリーンラベル・ブリュット・オーガニック

5番目の色は、2017年にリリースした「緑」です。2010年、ヴァレ・ド・ラ・マルヌ地区のヴェルヌイユ村に名門のメゾン、ルクレール・ブリアンが所有していた13ヘクタールの畑を取得し、ビオデナミに転換して、認証を受けました。認証付きビオデナミの畑で栽培したブドウだけを使った「グリーンラベル」は、ランソンだけでなく、シャンパーニュ地方でも非常にユニークな製品です。ブレンド比率は、PN50%、PM30%、CH 20%。生産本数は7万本前後で、初リリースはノンビンテージですが、将来は、ビンテージ物になるかもしれないとのこと。ラベルでは、ランソンのシンボルマークである「赤いマルタ十字」が緑になっています。

ちなみに、有機農法でシャンパーニュを作っているメゾンは非常に少なく、ランソン以外では、ルイ・ロデレール、デュバル・ルロワ、カナール・デュシェーヌぐらいでしょうか?

ランソン・ゴールドラベル・ヴィンテージ・ブリュット

6番目となる最後の色は「金」です。「6色」の中で唯一のビンテージ物で、ブレンドは、PN50%、CH50%。シャルドネが多く、非常に繊細で、魚料理と絶妙の相性です。

ランソンのシャンパーニュのラインナップ

以上はランソン社の基本である「レインボーカラー」ですが、それ以外も素晴らしいシャンパーニュがたくさん揃っています。

クロ・ランソン

ランソンが2006年、2007年に作ったシングルビンヤード物のブラン・ド・ブランです。ボランジェ社の逸品、「ヴィエーユ・ヴィーニュ・ラ・フランセーズ」のように、メゾンの敷地内にある畑で作りました(メゾンの「塀」で囲われた畑なので、「クロ」です)。

シャンパーニュの基本である「老若男女混成合唱団のハーモニーのよさ」ではなく、ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスのような堂々たる「テノール独唱」に仕上げたシャンパーニュです。

1枚の畑のブドウだけで作る単一畑のシャンパーニュは、レコルタン物では見かけますが、ネゴシアン物では非常に稀少で、クリュッグの「クロ・デュ・メニル」「クロ・ダンボネ」、フィリポナの「クロ・デ・ゴワセ」ぐらいしか思いつきません。

第1次発酵を樽で手間暇かけて発酵させているのも稀少で貴重ですね。時間と労力をかけてじっくり造るのは、ランソンの本領発揮と言えます。生産本数は僅か7,870本しかありません。

ランソン・ヴィュー・マール・ド・シャンパーニュ

安価だけれど、プロ度が非常に高いお酒の代表がマールでしょう。ワインを絞った残り粕を加熱し、蒸発したアルコール分を集めた物で、別名「粕取りブランデー」と「格下」っぽく聞こえますが、愛好家がひれ伏す逸品です。アルコール度数は40%もあります。代表的な生産地がアルザス、ブルゴーニュ、シャンパーニュで、私は、この3つを「マールのABC」と呼んでいます。

ショット・バーで、スコッチやバーボンをストレートで頼むと、黙って水が出てきます。この水が「チェーサー」です。男臭さを競ったイギリス人は、スコッチを飲むとき、ビールをチェーサーにします。巡洋艦みたいな英国人のチャーチルみたいですね。男性には似合いますが、女性には少しゴツイ雰囲気がありますね。スタイリッシュに行きたい時は、是非、
「チェーサーでシャンパーニュをください」とオーダーすると効果は抜群。それプラス、スコッチじゃなくて、同じシャンパーニュ地方で作った「マール」を頼むと、プロ度は最高です。そんなことをすると、ショット・バーのバーマンは、20年は覚えているでしょう。

ランソンのヴィュー・マール・ド・シャンパーニュと、同じランソンのブラックラベルは、最高にスタイリッシュな組み合わせです。是非、お試しを。