ワインが飲みたくなる小説『異邦人』

今回の「ワインが飲みたくなる小説」では、ノーベル賞作家の作品を取り上げます。

「ノーベル賞作家の小説なんて、難解でストーリーが分からないんでしょ?」と思いがちですが、意外に、その逆が少なくありません。「食わず嫌い」ではなく、少しだけ試してみてください。

今回紹介する小説

アルベール・カミュ『異邦人』

『伊豆の踊子』はイイけど、『雪国』はダメ

中学校の歴史や国語の時間で、世界の文豪の名前や作品名を勉強しましたね。例えば、中間テストで、「小説『伊豆の踊子』や『雪国』を書いたノーベル文学賞の受賞作家の名前を答えよ」のような問題が必ず出ました。

今は誰も信じませんが、中学3年生の時の私は真面目な生徒で、教科書に出てきた『伊豆の踊子』を読みました。200ページほどだったので1日で読み切り、「ちょっと格調高くて、淡くて、イイ感じの青春純愛小説だな」とハマります。両親は、私が真面目に『伊豆の踊子』を読んでいる様子を温かい目で見守っていました。ここまでは順調でした。

読み終わって、次に『雪国』を買ってきてから、少しずつヘンになります。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」という超有名な出だしを読んで、「おお、先生が授業で言ったのと同じ言葉がそのまま書いてある!」と、当たり前のことに感動している時に、父親が「この小説はお前にはまだ早い。難しすぎる。まずは高校入試の勉強をしろ」と取り上げられてしまいました。当時の私は、今のように擦れていなくて「単に難解な表現が多くて、意味を理解するのに時間がかかるのだろう。真面目に受験勉強をしよう」と何の疑問も持ちませんでした。

その20年後、通勤電車の中で『雪国』を読み、ビックリしました。ストーリーは、東京から越後湯沢へ来た妻子ある「島村」と、同地の芸者「駒子」との「大人の愛」が書いてあるのです。映画なら、モザイクが入りそうな場面もあり、「R」指定確定だと思いました。

ちなみに、川端の作品を映画化した時、『伊豆の踊子』のヒロイン、薫役は、吉永小百合や山口百恵でしたが、『雪国』の駒子役は岩下志麻でした。このことからも、二つの作品の違いがお分かりいただけると思います。

ノーベル文学賞作家の作品も、ワインも、いろいろありますね。

カミュとブルゴーニュ

『雪国』を読まなかったおかげで(?)、高校に入学し、1年生の1学期の最初の授業が古文でした。

古文の先生が開口一番、こう言いました。「若く死んだ作家は、いつまでも若いんですよ」。

新聞や本で有名作家を紹介する場合、最晩年の写真を載せます。35歳で睡眠薬自殺した芥川龍之介の写真は、今から切腹する若侍のように鋭い表情をしていますし、88歳で老衰死した志賀直哉は、老人ホームの最長老に見えますね。

日本の「若い作家」の代表が芥川なら、フランスは、芥川同様に狂気を持っていたアルベール・カミュでしょう。ボルドーが「カベルネ・ソーヴィニヨン」なら、カミュは「不条理」が看板。

「不条理」をテーマにして、弱冠44才でノーベル文学賞を受賞しました。カミュは日本でも、若い読者の人気が高く有名ですが、代表作である『異邦人』を実際に読んだ人は多くないでしょう。

今回のコラムを読むと、『異邦人』を読んだ気になって、「不条理」の意味が分かるはずです。

ワイン会で、ふとした拍子に「カミュ」や『異邦人』が話題になっても、余裕で受け答えできます(ワイン会では、2時間ぐらい経ってイイ感じで乱れた頃、なぜか、フランスの文学、芸術、映画、音楽の話がよく出てきます)。

また、カミュは、ブルゴーニュ・ワインと深い関係にあったことも分かると思います。

イントロあてクイズ

日本の小説で、誰でも知っている出だしの金メダル、銀メダルは、『雪国』の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と、夏目漱石の『吾輩は猫である。名前はまだない』ですね。

一方、海外小説の「有名イントロ」の1位は、カミュの『異邦人(L’Étranger)』の「きょう、ママンが死んだ(Aujourd’hui, maman est morte)」で決まりです。「ママ」ではなく「ママン」としたところに、翻訳家・窪田啓作の工夫があり、超有名イントロになったのです。

『異邦人』に登場する主人公の名前が、ムルソー(Meursault)。ブルゴーニュで、「伯爵夫人」のように絢爛豪華な極上の白を産する村と同じ名前です。バターの香りがすることでも有名ですね。

「カミュ」の名前は、日本なら「佐藤」「鈴木」のように、フランスではよくある姓です(ちなみに、最も多い名前はマルタンです)。カミュは、平凡な名前を嫌って、個性的な「ムルソー」にしたのでしょうが、姓としては非常に特殊ですね。ブルゴーニュのムルソー村を意識したとしか思えません。

日本人なら「甲州さん」あたりでしょうか?ちなみに、ブルゴーニュのムルソー村の名前は、「Muris Saltus(「鼠の跳躍」の意)」に由来するそうですが、詳細は不明です。

『異邦人』のあらすじ

地中海に面したアルジェリアの首都、アルジェに住んでいたムルソーが電報を受け取ります。母のいる養老院からで、母の死を知らせるものでした。これが、冒頭の「きょう、ママンが死んだ」です。

養老院での葬式に出席したムルソーは、悲しそうには見えません。翌日、海水浴に行き、偶然、出会った昔の女友達と成り行きでベッドを共にします。ある日、友人の痴話喧嘩に巻き込まれ、襲いかかってきた相手側のアラブ人を射殺してしまいます。普通なら正統防衛が成立しそうですが、死体に弾丸を4発撃ち込んだのが余計でした。ムルソーは逮捕され、裁判を受けます。

母の死を知らせる電報を受け取ってから、普通の人とは違う常識外の行動をしたことが裁判で証言され、不利な材料になり、異常な行動をする冷血人間と認定されたのです。最終弁論で「アラブ人を殺したのは太陽が眩しかったからだ」と言ったことで、情状酌量の余地のない殺人犯として、死刑を宣告されます。死刑執行の直前、教誨師として監獄に面会に来た司祭を追い出し、怒り狂った民衆の罵声を聞いて幸福を感じるというストーリーです。

全部で143ページの中編ですがこのあらすじを読むと、ムルソーは、反社会的で非道徳的で、簡単に人を殺す性格異常者と思いますね。いわゆるサイコパスで「なんだか、ムルソーって、滅茶苦茶なことをやってるよね」と感じます。

この「非道徳的で滅茶苦茶」を文学用語で「不条理」と言うのです。物凄く渋い赤ワインを飲んで、ワインのプロが「タンニン分が非常に豊かです」と試飲コメントを述べるのと似ていますね。

これが不条理

小説を書く場合、真面目な人は題材になりません。毎朝、7時に起きて9時に会社へ行き、きちんと仕事をして、17時に退社して19時に自宅でワインを少し飲みながら夕食を食べる。休日は読書と散歩をするという生活を30年過ごしてきた……と小説に書いても、誰も読んでくれません。極悪非道で破天荒に生きるアウトローの破滅に至る人生を書いてこそ面白いのです。

そんな悪人に少しギャップがあると、例えば「息子の写真を大事に財布に入れていた」みたいな「樽香」が付いていると、複雑な人格、人間模様になりますね。ただし、あまりに滅茶苦茶だと「そんな人間、いないよ」と現実味や説得力がなくなり、読者が引いてしまいます。

滅茶苦茶だけど、そういう奴、確かにいそうだよねと共感させたところに、カミュの構想の素晴らしさと筆力のすごさがあるのです。

要は、常軌を逸した行動が「不条理」であり、『異邦人』のムルソーは、まさに「不条理」の固まりですね。

この他、例えば、トルーマン・カポーティの『冷血』や、高村薫の『冷血』が不条理系でしょう。両方ともタイトルは『冷血』ですが、内容は全くの別物で、どちらも力作です。特に、カポーティの『冷血』は、ノンフィクション系の頂点と言われています。

カミュとワイン

『異邦人』の主人公の名前、ムルソーは、ブルゴーニュの白ワインと深い関係がありますね。これ以外にも、カミュ自身はワインと密接に関わっています。

1913年11月7日、カミュは、地中海に面したフランス領アルジェリアのモンドビ村の貧しい家庭に生まれます。父はフランスへ輸出するワインの生産会社、リコム社でブドウ畑の世話をしていました。生まれた時から、カミュはブドウに囲まれていたのです。

カミュは、44歳の若さでノーベル文学賞を受賞し、その賞金でプロヴァンスのルールマラン村(マルセイユの北40km)に家を買いました。パリは780キロ先で、車で1日かけて行き来したのです。

陽光溢れるルールマラン村では、ACコート・デュ・リュベロン(赤、ロゼ、白がある)という「廉価版の一般消費用ワイン」を造っています。この村に家を買ったのは、気候とワインが故郷のアルジェリアに似ていて、地中海に面していたためではないでしょうか?

事件が起きたのは1960年1月4日。今はなきフランスの超高級車、ファセル社のヴェガに乗り、ルールマランからパリへ向かいます。運転するのは、日本の新潮社的な大手出版社、ガリマール書店を創業したガストン・ガリマールの甥、ミシェル・ガリマールでした。

ブルゴーニュを北上しムルソー、ボーヌを抜け、パリまであと100km足らずのヴィルブレヴァンを走行中、タイヤがパンクし、道端の街路樹に激突。助手席のカミュは即死しました。享年46。

カミュがその日の昼食で飲んだのはボージョレ地方フルーリー村の赤だったそうです。ちなみに、カミュは、このフルーリーにブーダン・ノワール(豚の血のソーセージ)を合わせたとのことです。

『異邦人』と合わせて贈りたいワイン

アルベール・カミュの『異邦人』は全143ページの中編小説ですので、1日で読めてしまいます。次に挙げるいろいろなワインといっしょに、本書を1冊プレゼントしてはいかがでしょうか?

ムルソー

世界の辛口の白ワインの双璧がブルゴーニュのモンラッシェとムルソーです。「シャルム」のような極上のムルソーをプレゼントする時、『異邦人』とセットで差し上げるのがおすすめです。

きっと、お相手は、なぜ、ムルソー・シャルムと『異邦人』なんだろうと不思議に思うはず。そこで、実は、主人公の名前がムルソーで、カミュのテーマである「不条理」とはこういうことでなどと、少しだけ蘊蓄を披露すると、純文学にも精通していると、お相手はビックリしてくれるはずです。カミュを味方につけてください。

クリュ・ボジョレー

カミュが交通事故死する数時間前、最後のランチで飲んだのがボジョレー地区のフルーリー村のワインでした。お花を意味する「フルーリー」には、ワインと『異邦人』と花束の3点セットがピッタリですね。

早飲みのイメージがあるボジョレーですが、クリュ・ボジョレーを20年~30年ほど熟成させると、華麗なワインに変身し、コート・ド・ニュイの特級畑で造った極上のブルゴーニュと見分けがつかなくなります。

プロヴァンス

カミュがノーベル賞の賞金で買った自宅は、ルールマラン村にありました。プロヴァンス地方ですね。

豊かな太陽が降り注ぐ地中海の地。プロヴァンス地方はロゼワインが有名ですが、赤、白もあります。是非、ランチに飲んでください。