シャンパーニュの帝王、クリュッグの歴史

クリュッグ

「シャンパーニュの帝王」と称えられるクリュッグ。世界の最高峰として広く認められているだけでなく、世界のワイン通やワイン評論家たちにも深く愛されるシャンパーニュです。

今回はそんなクリュッグが「シャンパーニュの帝王」と呼ばれる所以と、1843年の創業以来6世代に渡り伝統の製法を守り続けるクリュッグの歴史をご紹介します。

女王陛下はクリュギスト

クリュギスト(Krugist)という言葉をご存知でしょうか?

これは、シャンパーニュ界の孤高のエリートにして帝王である「クリュッグ」の愛飲家のことです。クリュッグ社が作った言葉なので、一般の英和辞典には載っていませんが、ネット検索するとウェブの辞書にはちゃんと出てきます。英語圏の最高権威、イギリスで出版しているオックスフォード辞典には、日本語の「emoji(絵文字)」も登場したので、クリュギストが載る日も遠くはなさそうです。

私は、クリュギストには以下の5種類があると思っています。

①酒はクリュッグしか飲まん(過激派クリュギスト。絶滅危惧種に指定)
②もちろん、シャンパーニュを飲む時はクリュッグだけ(純正クリュギスト。多分、大富豪か、クリュッグ家の人)
③クリュッグは高価なので、普段は廉価版のスパークリング・ワインを飲んでいるけど、クリュッグが一番好き(クリュギスト見習い。世のクリュギストの98%はこれ?)
④エーッ、クリュッグ? 一回飲んでみた~い(普通のグルメ)
⑤クリュッグって何だ?(経済観念のあるフツーの庶民)

私は、もちろん③の「クリュギスト見習い」です。

なお、5代目当主アンリ・クリュッグの長男で、2006年から6代目を引き継いだオリヴィエ・クリュッグに会った時に、「あなたは、この5種類の中のどれですか?」と聞いたところ「①と言いたいが、赤ワインもブランデーも好きなので、②だね」と笑いながら答えてくれました。

なお、クリュギスト四天王が、エリザベス女王、ココ・シャネル、マリア・カラス、アーネスト・ヘミングウェイ(注1)

中でも筋金入りのクリュギストがエリザベス女王でしょう。1998年に入院したとき、酒は一切ダメとドクター・ストップがかかっていたのに、病室へクリュッグのボトルを持ち込み、「女王、クリュッグを飲む」と新聞が一面の大見出しでスッパ抜きました。

(注1)ヘミングウェイは、シャトー・マルゴーの大ファンとしても有名です。孫娘にMargauxの英語読みの「マーゴ」と名前をつけました。これが、世界的なファッション・モデルにして女優のマーゴ・ヘミングウェイです。

Kは「クリュッグ」のK

しりとりゲームでは、「ん」で終わる言葉は禁じ手です。しかし、実際に国語辞典を調べると「ん」で始まる言葉は「ンビラ(アフリカの楽器)」、「ん廻し(古典落語の演目)」、「んのざき(漢字で書くと篠崎という苗字)」など、10個以上存在します。

フランス語の「ん」に相当するのが、「K」で始まる単語でしょう。私の手元にある白水社の仏和辞典『ル・ディコ』は全部で1672ページありますが、「K」で始まる単語は3ページだけ。karaté(空手)、Kodak(コダック)など外国由来がたくさんあります。

シャンパーニュ愛好家にとって「K」で始まる単語で最も重要なのがクリュッグ。

クリュッグの創始者は、「Kは外国産」の法則通りドイツからやって来た生真面目なジョセフ・クリュッグです。1840年から老舗のシャンパーニュ・メゾン、ジャクソンで働き、1843年に独立して「クリュッグ」を立ち上げました。

同じ時代、12,000km離れた日本では大塩平八郎の乱(1837年)、蛮社の大獄(1839年)、ペリーの黒船来航(1853年)など、「明治維新」という大革命の前の「余震」がくすぶって落ち着かない時代です。

一方、初代のジョセフは、落ち着いて真面目な職人気質の人でした。ジョゼフの手帳には、息子のポール(後の2代目)に宛てた、次のメッセージが書いてあったそうです。

「品質で妥協したくなる時もあるだろう。しかし、一度妥協すればメゾンの名声は瞬時に地に堕ちると思え」

「高品質の2つのシャンパーニュを造れ。最初のキュヴェは毎年変わらぬもの、2番目のキュヴェはその年の特徴を引き出したものだ」

「毎年変わらないキュヴェ」は同社のマルチ・ヴィンテージの「グランド・キュヴェ」で、2代目のポールが製造法を確立しました。

「その年の特徴を引き出したキュヴェ」は、クリュッグ・ヴィンテージ、クロ・デュ・メニル、クロ・ダンボネ、クリュッグ・コレクションですね。

エリゼ宮の「シャンパーニュ偏差値」

シャンパーニュ

今から20年前、私は20kg痩せていて、とある電機メーカーに勤務する真面目なITエンジニアでした。

会社で開発した通信系のソフトウェアを売り込むため、フランスの防衛産業系企業のパリ本社へ出張したことがあります。相手側の親玉は、辣腕検事みたいな雰囲気の女性設計部長。

名刺を交換したとき、私の名刺の「第2通信設計部」の英訳(2nd Network Development Department)に反応して、「1stの方がエライのか?」と聞かれました。

はじめは、何のことか意味が全く分かりませんでしたが、部署名の「第1」「第2」を、メドックの格付けの「1級」「2級」と同じように解釈していることが分かり、とてもビックリしました。

日本とスイスは貴族制度が瞬時に消滅しましたが、フランスは「自由・平等・博愛(注2)」を看板にしながらも、実際には階級社会がきちんと残っています。

エンジニアの私も体験したということは、上下関係が熾烈な政治の世界では、もっと厳格な格付けが存在します。

『エリゼ宮の食卓(西川恵著、新潮社)』によりますと、大統領府のエリゼ宮で海外のVIPを招いた大統領主催の晩餐会を開く場合、相手のランキングをしっかり考慮するそうです。

招待する海外要人の地位、その要人がフランスにとってどれだけ重要か、どれほど利益をもたらすかで、食事に供するワインの銘柄を明確に変えます。

1990年に海部元総理が訪仏したときは、ドン・ペリニヨン1982年が出ました。宮沢元総理が1992年に訪れたときはドン・ルイナール1985年、村山元総理の1995年の訪仏時も、ドン・ルイナール1986年でした。

シャンパーニュ愛好家の間では、ドン・ペリニヨンよりドン・ルイナールを飲みたがるのでしょうが、エリゼ宮の「シャンパーニュの偏差値」としては、ドン・ペリニヨンの方がランキングは高いようです。どちらにせよ、両方とも最上級であり「あなたはフランスにとって重要な人です」とのメッセージがこもっています。

悲惨なのは、1994年5月に羽田元総理が渡仏したときでした。

超短命内閣に終わると日本だけでなくエリゼ宮も予想したためか(注3)、シャンパーニュこそポメリー社のルイーズ・ポメリー1985年と「まあまあ」のレベルでしたが、白はロワールのプイィ・フュメ1991年、赤はプロヴァンスのドメーヌ・ド・ラ・ベルナルドのサン・ジェルマン1991年だったそうです。

通常、エリゼ宮では、赤白ワインは、「フランスの誇り」であるボルドーかブルゴーニュしか提供しません(注4)。それを考えると、花見で飲むような気軽な南仏のワインを公式の晩餐会で出したのは、「あなたには、期待していません。ゆっくりパリ観光をお楽しみ下さい」とのメッセージともとれますね。

羽田元総理の翌週に国賓としてエリゼ宮に招かれたエリザベル女王には、ブシャール・ペール・エ・フィス社のコルトン・シャルルマーニュ1990年、シャトー・ラトゥール1971年のマグナム、ドン・ぺリニョン1986年が出ました(このワインのセレクションは、ワイン愛好家の夢ですね!)。

やはり、相手の格により、ワインを明確に変えています。

そんなエリゼ宮で、最も偏差値が高いシャンパーニュがクリュッグ社のグランド・キュヴェです。

1994年10月の平成天皇の歓迎晩餐会では、ミッテラン元大統領はドン・ペリニヨン1985年をサーヴィングし(白はマルキ・ド・ラギッシュのシャサーニュ・モンラッシェ1985年、赤はシャトー・ラトゥール1978年)、3日後の非公式午餐会では、クリュッグのグランド・キュヴェをマグナムで出しました(白はブシャール・ペール・エ・フィス社のル・モンラッシェ1985年、赤はムートン・ロートシルト1966年で、晩餐会より1段、レベルアップしてますね!)。

クリュッグのグランド・キュヴェは、フランスにとっての最重要国、イギリスのエリザベス女王が国賓待遇で来るときなど、最高のVIPにしか提供しません。クリュッグは、階級社会の最高峰フランス大統領府がフランス最高のシャンパーニュと認めた「シャンパーニュの帝王」なのです。

(注2)フランスの三色旗は、青が自由、白が平等、赤が博愛を表すと言われていますが、5大陸を表すオリンピックの「5色の5つの輪」のシンボルマークと同様、どれがどれではなく、全体でその3つを表現しているそうです。

(注3)実際には、64日での退陣となりました。これは、1867年の大政奉還以降で3番目の短さです。

(注4)ちなみに、海外の国賓を招く日本の宮中晩餐会では、シャンパーニュは、必ずドン・ペリニヨン、白はブルゴーニュの1級か特級、赤はボルドーの5大シャトーの中から決まりです。

クリュッグ・グランド・キュヴェ

エリゼ宮のシャンパーニュ・ランキングのトップに君臨するグランド・キュヴェ。

実は、クリュッグのラインナップでは、最も生産量が多く、一番廉価なシャンパーニュです。初代のジョセフが言った「最初のキュヴェとして毎年変わらぬものを作れ」が、このグランド・キュヴェです。

このグランド・キュヴェは、通常のシャンパーニュ・メゾンの「NV(ノン・ヴィンテージ)」に相当するのですが、シャンパーニュ愛好家は、「NV」と呼ばず(恐れ多くて呼べず?)、「マルチ・ヴィンテージ」と呼んでいます。これは、「品質を上げ、極上のシャンパーニュ造りを追求した結果、複数年のワインをブレンドすることがベストであるとの結論に至った」という意味です。

そこでよく聞かれる質問が「グランド・キュヴェがマルチ・ヴィンテージなら、他のメゾンのNVと同様、いつどのように造ったか分からないではないか?」

実は、どんな年のどんなブドウをどんな比率でブレンドして、どんな味わいかまで詳細を知る方法があります。

これは非常に簡単で、ボトルのバックラベルの左下のある6桁のクリュッグIDを下記のウェブサイトへ入力すればOKです。

例えば「213035」と入力してください。以下の表示が出ます。

ちなみに、でたらめに数字を入れても、90%以上の確率で、「そんなIDは存在しません」と蹴られます。

①デゴルジュマンの時期:2013 春

②ブレンド:142種類のワイン

③最も古いベースワイン:1990年

④最も若いベースワイン:2006年

⑤醸造責任者のエリック・ルベルの言葉:天候やブドウの出来、ブドウの特徴、また、最終的な構成は、ピノ・ノワール44%、シャルドネ35%、ムニエ21%であることまで分かる500文字超の詳細な解説です。

⑥試飲コメント:230文字もの詳細なテイスティング・コメントもついています。

このコメントを読むと、クリュッグ社の自信とプライドを感じると同時に、自分がランスの葡萄畑の真ん中にワープした気分になりますね。

私事で恐縮ですが、2000年10月、銀座の吉兆で、京都の極上のマツタケとクリュッグを合わせるディナーに、ワイン・ジャーナリストとしてご招待を受けた時のことです。

この席で、「極上のマツタケ」と「熟成感が満載のグランド・キュヴェ」という「日仏の官能のトップ」が出会いました。

この組合せがあまりに官能的で、R18的に表現すると「香油を身体中にすり込んだアラビアンナイトのシェラザード姫と、純白のシーツの上で抱き合っているよう」でした。

私の前の席にいたのがオリヴィエ・クリュッグ氏。当時34歳で、まだ6代目に就任する前でした。周囲が上品に酔い乱れて、「エリゼ宮での二次会」みたいになった時「ワイン・ジャーナリストの条件反射」として、どさくさに紛れていろいろ聞きました。

「明日、世界が滅びるとしたら、何のシャンパーニュを飲みますか?」との私の問いに、オリヴィエさんは即答しました。

「多分『ヴィンテージ1985』とか『クロ・デュ・メニル1982』という答えを期待していると思う。世界のクリュッグの愛好家の皆さんに、ヴィンテージ物や単一畑のクロ・デュ・メニルのような高価なシャンパーニュを買っていただき、称賛してもらえるのは、とても嬉しく光栄に思う。でも、クリュッグ家の人間として、私は『グランド・キュヴェ』を選ぶ。クリュッグ家の神髄は高度なブレンド技術にあり、150以上のワインをブレンドした『芸術の粋』がここにあるからだ」。

オリヴィエはほろ酔いでしたが、初代ジョセフの言葉「最初のキュヴェとして毎年、変わらぬものを造れ」をしっかり受け継いでいました。

キリっと言い切った表情が、物凄くカッコよかったことを20年たった今でもよく覚えています。

古酒の最高峰、クリュッグ・コレクション

シャンパーニュ

シャンパーニュには、ドン・ペリニヨンの「エノテーク」、「レゼルヴ・ドゥ・ラベイ」、「P3」のように、超マニアックな古酒があります。

シャンパーニュの古酒の魔力に魅入られてハマると、私のように確実に財政破綻の道をたどりますので、ご注意ください。

このシャンパーニュの古酒の元祖にして最高峰が「クリュッグ・コレクション」です。

第二次世界大戦が終わり、文化的な余裕ができたとき、シャンパーニュ愛飲家の最大の論争が「シャンパーニュはボトルに詰めた後、熟成するか?しないか?」でした。

とことん熟成させた古いワインが好きなイギリス人は、熟成派。泡がほとんど立たず白ワインみたいなシャンパーニュを珍重します。

若飲みが好きなフランス人は熟成しない派です。瓶内二次醗酵中は、澱とシャンパーニュが接触する一種のシュール・リー状態なので、澱のアミノ酸の旨味がシャンパーニュに溶け出ます。しかし澱を取り除き、コルクを打って出荷態勢になったら熟成はしないと考えています。

このイギリス人とフランス人の熟成に対する考えの違いが、クリュッグ・コレクション誕生の伏線となりました。

第二次世界大戦が終わった数年後、三代目当主のジョセフ・クリュッグ二世(1869-1967)がさるイギリス貴族のディナーに招待され、3回ビックリします。

まず、出てきたシャンパーニュがクリュッグ・ヴィンテージの1928年。ジョセフには最初のビックリです。

「コルクを打って20年以上も経ったシャンパーニュを後生大事に持ってるなんて、いかにもイギリス人だ。とっくに飲み頃を過ぎているのにねぇ」と思ったはずです。「ダメだったら、なんと言えばいいのだろう?」と恐る恐る一口飲むと、カシューナッツや蜂蜜の香りに熟成香が混じってやたらと美味い。これが2度目のビックリ。

イギリス貴族の得意顔が目に浮かびますね。ジョセフはランスのクリュッグ社のセラーに飛んで帰り、抱えていた売れ残りの1928年を飲むとやはり素晴らしい。これが3度目のビックリ。

これを「クリュッグ・コレクション」と銘打って売り出したのが、「シャンパーニュの古酒」の始まりです。

私がシャンパーニュを本格的の飲み始めた1990年代、世界のシャンパーニュ愛好家の大部分は、「ボトルに詰めた後のシャンパーニュは熟成しない」と信じていました。なので、当時日本で「クリュッグ・コレクション」を知っていたのは、ごく僅かで、波照間島の人口(注5)の100分の1程度でしょう。

(注5)約500人

私の知る限りでは、これまでクリュッグ・コレクションが出たヴィンテージは、以下の通りです。

1928年、1929年、1937年、1938年、1942年、1943年、1945年、1947年、1949年、

1952年、1953年、1959年、1961年、1962年、1964年、1966年、1969年、1971年、

1973年、1976年、1979年、1981年、1982年、1985年、1988年、1989年、1990年

クリュッグ・コレクションは、1本ずつ木箱に入っています。中には葉書が入っていて、住所氏名を記入してクリュッグ社に送ると、コレクションを飲んだ証明書が返送されます。

クリュッグから認定書が届くなんて、ジェームス・ボンドからクリスマス・カードが届くみたいでワクワクしますね。

元祖単一畑「クロ・デュ・メニル」

赤ワインの銘醸地ブルゴーニュでは、どの畑のブドウでワインを造ったかが非常に重要です。一方、シャンパーニュでは、いろんな畑の黒白ブドウをブレンドするため、畑名が分かっていても、多すぎてラベルに書き切れませんし誰も気にしません。

老若男女合唱団はバランスとハーモニーが勝負で、歌い手一人一人の歌唱力を気にしないのと同様、シャンパーニュでも畑の特性を気にしません。

しかし、合唱団にマリア・カラスのような「銀河系を代表する歌姫」がいたらどうしますか?私なら、もちろん「伝説のソプラノ」にして、「ヨーロッパの溜息」と絶賛されたマリア・カラスに独唱してもらい、類まれな魅力を最大限に披露しますね。

それと同じ考え方でクリュッグが造ったのが、単一畑「クロ・デュ・メニル」の白ブドウ(シャルドネ)だけを使ったシャンパーニュです。

1971年、銀座にマクドナルドの1号店が開店したころ、クリュッグがレミー・マルタン社の資金援助でクロ・デュ・メニルを購入しました。

面積は1.8haとサッカー場の敷地ほど(注6)。一人で管理できるブドウ畑の広さが3haとのことですので、シャンパーニュの畑の水準では猫の額同然です。

クリュッグは、クロ・デュ・メニルを買ってもすぐにはシャンパーニュを造りませんでした。ブドウ樹が傷んでいたのでゴッソリ植え替え、徹底的に畑の手入れをします。

初ヴィンテージは1979年で、発売は1985年。畑を買って15年目にやっとお金が入るという気の遠くなるお話です。1985年度の日本のマクドナルドの店舗総数は、500店を越えていました。

シャンパーニュでの単一畑は、「白いカラス」以上に珍しく、とても稀少です。

ボルドーやブルゴーニュのラベルには、畑を描くのが超基本ですが、シャンパーニュで畑を描いたラベルは1つしかありません。それが元祖単一畑のクロ・デュ・メニルです。建物に囲まれた畑がよく分かりますね。

ラベル

クロ・デュ・メニルを飲むと、クリュッグのトレードマークであるシェリー酒のような熟成香に加え、ヘーゼルナッツやアーモンドをすり潰した香ばしい匂いと、バニラアイスクリームに蜂蜜をかけたような妖しい香りが混じります。白ブドウだけで造ったエレガントな味わいの中に、一本力強い芯がキレイに通っています。フルボディーで熟成香のあるシャンパーニュが好きな愛好家にはたまりませんね。

(注6)ロマネ・コンティと同じ面積であることや、超高品質超稀少であることから、「シャンパーニュのロマネ・コンティ」と呼ばれています。

黒ブドウだけのクロ・ダンボネ

黒ブドウ

白黒ブドウを混ぜる通常のシャンパーニュが老若男女合唱団としたら、白ブドウ(シャルドネ)だけで作るクロ・デュ・メニルのような「ブラン・ド・ブラン」は、女性だけの「宝塚歌劇団」ですね。通っぽくて高級、洗練されていてエレガントなイメージあります。

ブラン・ド・ブランとは逆に、黒ブドウ(ピノ・ノワール)だけで作った白シャンパーニュが「ブラン・ド・ノワール」。男だけの「歌舞伎」の世界です。重厚なイメージがあり、希少価値、プロ度、価格ともに最高。超マニアックなシャンパーニュです。

ピノ・ノワールの聖地、アンボネ村の0.68haの単一畑「クロ・ダンボネ」のピノ・ノワールだけで造ったのが、このシャンパーニュです。

50mプール5面分しかない「狭い中庭」で作った超少量生産の泡。2007年に発売した初ヴィンテージの1995年には、1本50万円という驚異の価格がつき、世界が驚きました。

次の1998年は25万円と「お手頃価格」に落ち着きましたが、世界最高価格のシャンパーニュの座は不動。世界中のシャンパーニュ愛好家の「死ぬまでに飲みたい泡」のトップとなりました。

日本人が関わった?クリュッグ・ロゼ

ロゼシャンパーニュ

ワインの中で最も高貴なイメージのあるシャンパーニュ。その中でも、最もゴージャスなのがロゼですね。

泡の出ない「スティル・ワイン」の世界では、ロゼは本当はとても美味いのに日本ではなぜかなかなか人気が出ず、ワイン愛好家の手も伸びません。

一方、ロゼ・シャンパーニュは、もともと「ロマンスのお酒」のイメージを強く打ち出したビジネス・モデルが大成功し、白いシャンパーニュの50%増しの高値にもかかわらず、大人気で広く流通しています。

クリュッグがロゼを作ったのは、他のメゾンに比べて非常に遅く、初ヴィンテージは1995年です(注7)。創業170年目に作った初のロゼ。この「ロゼ造り」には、ある日本人が関わったと聞いたことがあります。

あくまでも噂ですが「クリュッグのロゼが飲みたい」との愛好家からの強烈なラブコールに応えるべく、クリュッグはロゼの生産に着手したのですが、思うようなロゼができず苦労したそうです。

そこで、いろいろな酵母を持っている東大の酵母の研究グループに相談に行ったとのこと。ワインの発酵に使う酵母にも、特許や権利が絡みます。酵母の研究の世界最高峰の1つが東大のグループとのことで、そこから1人の研究者をクリュッグに派遣したそうです。その研究員の努力により、クリュッグのロゼができたとか。

これが本当なら、ちょっと誇らしいお話ですね。

(注7)ドン・ペリニヨンのロゼの初ヴィンテージは1959年、ルイ・ロデレールのクリスタルのロゼは1974年。ヴーヴクリコは、なんと1818年が初ヴィンテージです。

まとめ

「シャンパーニュの帝王」クリュッグについて、いろいろ書きました。

初代のジョセフ・クリュッグから180年に渡り、品質に対するたくさんの人の熱い思いや尽力があって、クリュッグの美味しさができていると改めて思います。

次回、クリュッグを飲む機会がありましたら、こんな人達のことを少し思い出していただければ嬉しく思います。