私たち人間が感じる「おいしさ」とは、どんな仕組みで生まれるのでしょうか。
本号では、食品科学者・日下部裕子さんと料理家・樋口直哉さんに「おいしさの科学」についてわかりやすく解説いただきました。新しい発見と驚きに満ちたワインと科学の世界へ、一緒に足を踏み入れてみませんか。
東京大学大学院修了。農研機構にて健康・感覚機能研究を担当。研究のほか企業向け講演や著作にも携わる。
服部栄養専門学校卒。作家・料理家として執筆やメニュー開発を行う。
「おいしさ」=本能+(味わい+情報)
私たち人間は、食べ物を口に入れ、舌で触れることによって味を感じ取ります。
舌の表面には「味蕾(みらい)」と呼ばれる感覚器官が存在し、そこで受け取った味の情報が神経を通じて脳へと伝わり、「味わい」として認識されます。ここまでは、科学的に説明できる「感覚」の領域です。
しかし、私たちが口にしたものを「おいしい」と感じるとき、そこには「感覚」だけでは説明できない、より複雑な「感情」が関わっています。
「おいしさ」とは科学的に一般化された味わいの、その向こう側にある情動であり、だからこそ個人差が生まれるのです。
では、その“感情”はどのように生まれるのでしょうか。
食べるという行為を根源にまで遡ると、そこには「生きるために食べる」という動物的な本能があります。 私たちはその本能の上に、味蕾で感じた味の情報――つまり「味わい」――を受け取り、さらにそこへ「情報」を重ね合わせることで、「おいしい」という感情にたどり着くんです。 ここで言う「情報」とは、個々が持つ知識や経験、育まれた文化的背景、その時々の心理的・身体的なコンディションまでを含む広い概念を指します。
例えば同じ料理でも、「日曜の夜に食べる」のと「平日の昼に食べる」のでは、きっと感じ方はまったく違うはずです。 文脈が、おいしさをつくる 。 この視点こそが、「おいしさ」の正体を理解するうえで欠かせないファクターなのです。
ワインの「おいしさ」はどこにある?
本能の上に味わいと情報が重なることで生まれる「感情」が「おいしさ」です。
ではワインの場合、その「感情」はどのような経路で生まれるのでしょうか。テイスティングには基本の手順があり、「外観→香り→味わい」の3ステップで楽しむことが一般的とされています。
まず外観。色調や濃淡、透明度からワインの熟度やスタイルを読み取ります。
続いて香り。実はワインと料理のペアリングでは、味よりも香りが決定打になることが多く、ワインに含まれる香り成分が食材との相性を左右します。
そして味わい。舌の表面にある味蕾が、甘み・旨味・塩味・酸味・苦味という5つの基本味を感知し、その信号は複数の神経を通って脳へ伝達されます。このとき、味覚だけでなく、口当たりや温度、渋みといった触覚的要素も同時に脳で統合されます。
こうして脳に届けられた情報に、産地や品種の知識、ラベルから得る期待、誰とどんな場面で飲んでいるかといった記憶が重なり、「おいしい」という感情にたどり着きます。
つまりワインの「おいしさ」は、液体そのものの性質だけで決まるものではありません。
感覚からの信号、見た目やストーリーが与える認知、そしてその瞬間の環境や気持ち—それらが重なり合うことで初めて生まれると捉えられます。
「ワインのおいしさを楽しむ」ということは、極めて総合的な体験ともいえるのです。
香り成分の相関性
料理に使われる食材には、それぞれ風味の核となる香り成分が含まれています。ワインにも同様に香り成分が存在し、食材とワインの間で共通する成分が多いほど、香りや味わいが自然につながり、相性の良さを感じやすくなります。
この「香りの共通項」という視点は、ワインと料理のペアリングを理解するうえで、大きなヒントとなる考え方です。
TIPS
食材と香り成分の関係を可視化した分析手法に、「フレーバー・ネットワーク(Flavor Network)」というものがあります。
これは、食材同士が同じ香り成分を共有している場合にリンクを結び、共通成分が多いほど結びつきが強くなるように表現したものです。
この図を見ることで、科学的な観点から「どの食材同士が風味的に近いのか」「どの組み合わせが調和しやすいのか」が直感的に理解できます。
ワインと料理のペアリングを考える際にも、有効なヒントを与えてくれる考え方です。
イラスト=ナカミサコ
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