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世界の3人の偉人が愛したワイン

葉山 考太郎
葉山 考太郎
葉山考太郎のコラム
公開日:2022.5.4
更新日:2022.5.4
世界の3人の偉人が愛したワイン

お酒と文化には非常に強い相関関係があります。


日本古事記や日本書紀には、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が八つの甕(かめ)に入った日本酒を飲んで酔っぱらって日本武尊に討ち取られたり、1855年のパリ万国博覧会のために当時の皇帝、ナポレオン3世が後に「メドックの格付け」として世界的に有名になる61シャトーのレイティングを作らせた等、いろいろな話があります。


今回は、そんな「お酒と文化」を横目に見ながら、フランス、イギリス、アメリカを代表する3人の政治家や君主が愛したワインをチェックします。


ワインに対する3人の溺愛ぶりを見ると、ワインはその国の政治や文化に深く根づいていると痛感します。

目次

フランスで圧倒的な人気を誇るナポレオン・ボナパルト

ナポレオン・ボナパルト

最初に登場するのがナポレオン・ボナパルト(1769年8月15日-1821年5月5日)です。


ナポレオン・ボナパルトは、本国のフランスで圧倒的な人気があり、日本なら、豊臣秀吉と坂本龍馬を足して3倍にしたぐらい今でももてはやされています。


ナポレオンは、モエ・エ・シャンドン社の3代目ジャン・レミーと深い親交があり、ナポレオンがまだ将校のときからのお友達でした。ジャン・レミーは公私に渡り、ナポレオンをバックアップします。


ナポレオンが出世街道の頂点へ昇りつめたことで、モエ・エ・シャンドンのシャンパーニュは「ナポレオンの御用達」として、急速に認知され、ヨーロッパの王室、貴族、文化人から注文が集中して、ほぼ独占状態になります。


ナポレオンの辞書には「モエ・エ・シャンドン」しかなかったようです。


1807年にロシアを攻める途中でシャンパーニュを行軍していたナポレオンは、モエ・エ・シャンドンのカーヴに宿泊しました。ロウソクの灯しかないメゾンの暗闇のカーヴで、ナポレオンはジャン・レミーにレジョンド・ヌール勲章を授けました。


ナポレオンはモスクワを攻めましたが、同地の冬の極寒に耐えきれず、退却。「勝利した時はシャンパーニュを飲む権利がある。敗れた時は飲まねばならぬ」との言葉を残しています(この言葉は、イギリスの鉄の宰相、ウィンストン・チャーチルの言葉とする説もあります)。


モエ・エ・シャンドン社がナポレオンとの深い友好関係があったことの象徴として、モエが 1869年にリリースしたのが「モエ アンペリアル」で、皇帝(アンぺリアル)の名前を冠しました。モエのアンペリアルは、現在、世界で最も売れているシャンパーニュであり、ある意味、ナポレオンが世界を制覇したということですね。


シャンパーニュに名を残しながら、ナポレオンはシャンベルタンも非常に好み、ロシア遠征の時も戦場へシャンベルタンを樽で運ばせたそうです。


当時も今も「ナポレオンといえばシャンベルタン、シャンベルタンといえばナポレオン」とまで言われていて、特に、シャンベルタンと、匂いが強いウォッシュ系チーズのエポワスの組み合わせを好んだそうです。確かによく合いますね。


ナポレオンとワインの話はまだ終わりません。ワーテルローの戦いで敗れたナポレオンは英国領セントヘレナ島へ流刑になります。赤道に近い南半球の島で、当時は、南アフリカから5日間の船旅しかなかったそうです。


で、ナポレオンが愛したのが、南アフリカのクライン・コンスタンスで造るデザート・ワイン、レ・ヴァン・ド・コンスタンス。毎日1本飲んでいたそうです。


このワインは、フランスの詩人シャルル・ボードレールや、イギリスの小説家チャールズ・ディケンズの作品にも登場し、喜望峰があるケープ半島の中央の畑で造っています。


芸術家に愛されたワインですが、フィロキセラに罹患して、19世紀末にはブドウが全滅。文学の書籍の中だけで存在する幻のワインとなりましたが、1986年、100年以上の時を経て、当時の製法を再現して復活しました。


ナポレオンの誕生日の8月15日と没した5月5日は、モエ・エ・シャンドンのアンペリアル、シャンベルタン、ヴァン・ド・コンスタンスを飲んで、勇者ナポレオンを偲びたいですね。

イギリスの鉄の宰相、ウィンストン・チャーチル

ポル・ロジェ

世界の有名人はシャンパーニュが大好き。


例えば、上記の一人目で取り上げたナポレオンはモエ・エ・シャンドン、ロシア皇帝アレクサンドル2世はルイ・ロデレール、グレース・ケリーはテタンジェ、ジェームス・ボンドはボランジェ、レオナール藤田はG.H.マム、マドンナはドゥーツを愛飲。


そして、巡洋艦みたいな英国の宰相、ウィンストン・チャーチル(1874年11月30日-1965年1月24日)は、ポル・ロジェを溺愛しました。


飲んだだけでなく、チャーチルはポル・ロジェを渾身の力でバックアップし、ついにはその功績で同メゾンのシャンパーニュの最高級であるプレスティージュに名前を残します。


チャーチルを「ポル・ロジェの最強のパトロン」に仕立てたのが、同メゾンのオデット夫人です。夫人は、自分に横恋慕したチャーチルとギリギリの距離感を保ちながら、倒産の危機にあったポル・ロジェを命がけで何度も救ったのです。


チャーチルが、ポル・ロジェの「世界最強のパトロン」に大変身したのが1944年11月11日。同日は第一次世界大戦が停戦となった休戦記念日で、イギリスの祝日です。


この日、チャーチルはパリの英国大使館の昼食会に出席。駐仏英国大使のアルフレッド・ダフ・クーパーにオデット夫人を紹介され、瞬時にオデットの虜になります。「巡洋艦のような鉄の宰相」が牙を抜かれ「遊園地のアヒル型ボート」に変わりました。


夫人にメロメロになったチャーチルは、その場でポル・ロジェを数百ケース注文します。この時、チャーチルはあと3週間で71歳、オデット夫人は結婚10年目の33歳でした。


競馬が大好きなチャーチルは、何頭も競争馬を所有していました。中でも最も有望な牡馬に「ポル・ロジェ」と命名します。


この「出来事」により、チャーチル首相の「熱愛」が世界中に知れ渡りましたが、チャーチルは意に介しません。1952年、チャーチルはオデット夫人をロンドン南部の港町、ブライトンにあるブライトン競馬場へ招待し、ポル・ロジェ号の競走を観戦しました(残念ながら、ポル・ロジェ号は勝利できず)。


1953年6月2日、ロンドンから西へ電車で40分の近場にあるケンプトン・パーク競馬場でのブラック・プリンス・ステークスで、ポル・ロジェ号がついに初勝利。知らせを受けたチャーチルは嬉しくてたまりません。


オデット夫人に1秒でも早く初勝利を伝えたかったチャーチルは、ウェストミンスター寺院でのエリザベス女王の戴冠式に出席していた最中なのに、オデット夫人に電報を打ちました。


愛好家の間では、ピノ・ノワールを主体にした重厚で、たっぷりした熟成感のある「キュヴェ・サー・ウィンストン・チャーチル」が有名ですが、シャルドネだけの「ブラン・ド・ブラン・ヴィンテージ」もプロに大人気。


ブラン・ド・ブランは、エレガントで気品があるのに、1本、強靭な芯が通っています。これぞ、オデット夫人。


巡洋艦みたいな「サー・ウィンストン・チャーチル」と一緒に飲んでみたいですね。そうすれば、今から78年前「鉄の宰相」と「絹の美女」が初めて出会ったパリの英国大使館のシーンが、舌の上によみがえるでしょう。


ちなみに、ポル・ロジェ社の醸造所はシャンパーニュ通りにありますが、経営本部がある本社は、通りを1本中に入った、アンリ・ルラルジュ通りの1番地にありますが、この「アンリ・ルラルジュ通り」を「ウィンストン・チャーチル通り」に名称変更。本社の新住所は、「1 Rue Winston Churchill, 51206 Epernay Cedex」になったそうです。住所にまで、チャーチルと一心同体であることが窺えます。

歴代アメリカ大統領の中で圧倒的なワイン通、トマス・ジェファーソン

アメリカ国旗

トマス・ジェファーソン(1743年4月2日-1826年7月4日)は第3代のアメリカ大統領で、アメリカの2ドル紙幣に肖像画を残しています。


ジェファーソンは、もともと熱烈なワイン収集家でした。1776年7月4日のアメリカ独立宣言の当日、ジョージ・ワシントン、ジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリンをはじめとする要人が、アメリカ国民を前に乾杯をしたのは、ジェファーソンが特別に秘蔵していたマデラ酒です。


ジェファーソンは非常に多才な人で、政治家、弁護士、建築家、外交官だけでなく、バージニア大学も創立しました。


ワインにハマり、ブドウを栽培してワインを造ったり、ホワイトハウスではソムリエとして、公式晩餐会で提供するワインの銘柄や本数まで一人で決めていました。晩餐会では、シャンパーニュ1本で3.14人分取れると計算していたそうです。現代なら、ソムリエ世界選手権のアメリカ代表になれそうですね。


ジェファーソンは、1784年から1789年まで、特命全権大使としてパリに派遣され、その時にワインにハマりました。1787年5月にはボルドーに5日間滞在し、大手の仲買人を訪ねて試飲したそうです。この試飲でのお気に入りがラフィットでした。


アメリカに戻ったジェファーソンは、アメリカ合衆国の初代国務長官に就任します。今の外務大臣に相当するこの地位は、ワインにハマったジェファーソンには絶好の役職で、ボルドーのアメリカ総領事に対し、どのワインを何本、ワシントン大統領と自分に送るか詳細に指示したそうです。


1801年、ジェファーソンは、建国間もないアメリカの3代目大統領となります。最初の任期中、年収は交際費も含め2万5000ドルで、そのうち、7595ドルもワインに注ぎこみました。


8年の在任期間中、2万本以上ものヨーロッパ・ワインを購入し、中でもお気に入りは、ラフィットとイケムです。

葉山 考太郎
葉山 考太郎

シャンパーニュとブルゴーニュを愛するワイン・ライター。 ワイン専門誌「ヴィノテーク」、「神の雫(モーニング)」等にコラムを執筆。 2010年にシャンパーニュ騎士団オフィシエを受章。 主な著書は「クイズでワイン通」「今夜使えるワインの小ネタ(以上講談社)」、「30分で一生使えるワイン術(ポプラ社)」など

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