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デザートワインの王様シャトー・ディケムの苦労話

葉山 考太郎
葉山 考太郎
ワインの豆知識
公開日:2020.12.16
更新日:2022.5.28

ボルドーが世界に誇る9大シャトーの中で、唯一の白ワインが極甘口のデザートワイン、シャトー・ディケムです。

フレンチレストランでのコース料理の締めくくりが、凍るほどに冷やしたデザートワインをイチゴが1個入るほどの小さいグラスで飲むこと。シャトー・ディケムを1杯飲むと、幸せいっぱいの気分ですね。

世界中のワイン愛好家は、好みが針の穴より狭く、高価なワインをプレゼントしても、自分の好きなワインでないと、微妙な顔をされてしまいます(特に赤ワイン)。

世界中のどんな偏屈ワイン愛好家でも、満面の笑みで受け取ってくれる唯一のワインがシャトー・ディケムです。これまで、ディケムが嫌いなワイン愛好家に会ったことはありません。

ちなみに、ディケムのウェブ・サイトによりますと、日本初のイケム愛好家が明治天皇だったそうです。

今回は、デザートワインの圧倒的最高峰であるシャトー・ディケムのお話です。ワインは極甘ですが、物凄く苦労をしています。

目次

シャトー・ディケムとトマス・ジェファーソン

ボルドーのソーテルヌで、いつから貴腐ブドウによるデザートワインを造るようになったのか、分かっていません。

シャトー・ディケム(ワイン愛好家は、冠詞のdeを省いて、イケムと呼ぶので以降イケムと表記します)は、1593年にジャック・ド・ソヴァージュが買収したそうです。日本では、7年後に関ヶ原の戦いが起きる動乱の時代ですね。

ド・ソヴァージュは、自分が所有していた土地と、当時「イケムの家」と呼ばれていた土地を交換し、この「イケムの家」が現在のイケムの畑になったようです。

イケムの伝わる記録によると1821年の文書に、1753年物ワインの試飲コメントが残っているそうです。日本では、江戸時代のお話ですね。

1785年に、ソヴァージュ家がイケムをリュル・サリュース家に売却し、今も同家が所有しています。

1787年には、当時の駐フランスのアメリカ大使だったトマス・ジェファーソンがイケムに対し、250本の1784年物を注文する手紙を送っています。これは、自分用と、初代大統領のジョージ・ワシントン用です。

ちなみに、ジェファーソンは、第3代目のアメリカ大統領で、2ドル紙幣に肖像が載っています。初代のワシントン大統領から45代目のトランプ大統領も含めた中でも、ジェファーソンは圧倒的なワイン通でした。

ホワイトハウスでの晩餐会のワインは、全て、ジェファーソンが仕切っていましたし、ワイン収取家でもありました。

手吹きボトルに入り、「Th. J」のイニシャルを掘ったラフィット1787が1985年、ロンドンのクリスティーズのオークションにて10万5000ポンド(3200万円)で落札され、世界で最も高価なワインとして話題を呼びました。

デザートワインの造り方

極甘口のデザートワインを造る方法にはいろいろありますが、基本は、ブドウの糖度を濃縮することです。

濃縮する方法には、以下のようなものがあります。

①貴腐菌によるもの

ブドウの皮に貴腐菌がつき、この菌がブドウの皮を食べて穴をあけます。この穴の大きさが絶妙で、水の分子は通るけれど、砂糖の大きな分子は通りません。

児童公園の入り口にある車止めみたいなもので、人は通れるけれど、自転車やバイクは入れないパイプ製の柵みたいなものです。

貴腐菌がついたブドウは水分が抜けて、干しブドウ状になります。貴腐菌がついたブドウを見るたびに、「ジュースを絞るのは、ネタのない小説家に本を書かせるようなもので、大変だろうなぁ」と思います。

貴腐菌が毎年つくとは限らず、ギャンブルの要素が強いと思います。

②アイスワイン

昔のドイツ、今のカナダで有名なデザートワインがこれです。

秋にブドウを収穫せず、木になったまま年を越して厳寒の冬まで放置します。2月、夜明け前の最も気温が下がった時間帯に、ブドウの水分が凍ります。パチンコ玉の一回り小さい氷の粒を捨て、ブドウのジュースを絞ります。

紙パックに入ったオレンジジュースを冷凍庫へ6時間ほど入れると、紙パックの真ん中に氷の芯ができます。これを捨てて、残りのオレンジジュースを飲むと物凄く甘くなり、「これがアイスワインの原理かぁ」と納得します。

地球温暖化の影響で、ドイツでも真冬に凍らないことがあり、アイスワインを造るのは自然相手のギャンブルになってしまいました。

③遅積みワイン

収穫時期を1、2ヶ月ずらすと、木になったブドウの水分が飛んで、糖度が上がります。これも、非常に甘いデザートワインができます。

この方法で造ったワインは世界中で見かけます。

④藁干しワイン

収穫したブドウを2ヶ月ほど藁の上に置いたり、天井から吊るして、水分を飛ばす方法です。

ジュラ地方のヴァン・ド・パイユや、イタリアのパッシートが有名ですね。

イケムの苦労

夢見るように甘いイケムのデザートワインですが、「造るのが大変」「世界のビジネスに翻弄された」「お家騒動があった」と100年以上も苦労してきました。

デザートワインのビジネスは甘くはないのです。イケムの苦労を見ていきましょう。

イケムの苦労その1:造るのが大変

貴腐ブドウからデザートワインを造るには、以下のように、想像を絶する苦労があります。

①毎年、貴腐菌がつくとは限らない

アイスワインが毎年凍る保証がないように、貴腐菌が毎年つくとは限りません。

貴腐菌がつかなかった場合を考え、イケムでは、1959年から、辛口の「Y(イグレック)」を造りました。これは製品の多角化を目指したものではなく、貴腐がつかなかった場合の「窮余の策」です。

1900年以降で、貴腐菌がつかなかったり不作や社会情勢不安のため、イケムを造らなかったり造れなかったのは、以下の通りです。

1910年:天候不良
1915年:第1次世界大戦のため
1930年:天候不良
1951年:貴腐がつかず
1952年:雹害によりブドウが全滅
1964年:長雨のため不作
1972年:低品質のため、造らず
1974年:天候不良にため造れず
1992年:ソーテルヌにおいて20世紀で最悪の天候だったため、イグレックを造った
2012年:天候不良

②貴腐菌がついたブドウと、灰色カビ病のブドウかの判別が難しい

素人目には、貴腐菌がついてカビだらけのブドウと、灰色カビのブドウを見分けられません。

きちんと、そして一瞬で判別するには熟練した職人の技が必要ですし、同じ房のブドウでも貴腐菌のつき方が違うため、粒単位で収穫せねばなりません。訓練と人件費が必要です。

③9月の終わりから11月にかけて収穫するため、天災に遭いやすい

通常のブドウなら1、2週間で収穫が終了しますが、イケムの場合は2ヶ月もかかります。その間、暴風雨、雹や鳥獣害に気をつけねばなりません。

④9月の終わりから11月にかけて収穫するため、人件費がかかる

収穫に2ヶ月もかかると、収穫する労働者を長い間、抱えねばなりません。イケムでは、収穫に出て、収穫できる貴腐化ブドウがなかった場合でも賃金を払うそうで、相当人件費がかかりますね。

⑤果汁を絞るのが大変

干しブドウ状の実からジュースを絞るのはとても大変ですね。通常、ブドウ1kgから750mlのワインができ、1房~2房で1本造れます。

イケムでは、ブドウの木1本からグラス1杯分しか造れないほど大変です。

⑥発酵させるのが大変

保存食の塩漬けや、逆に砂糖をたっぷり入れたジャムは腐りません。塩や砂糖が多すぎると、菌や酵母が生きていけないのです。糖度が高いと、酵母が頑張れず、なかなかアルコールになりません。

通常のワインなら1週間程度で発酵が終わりますが、貴腐ワインの場合、2、3ヶ月かかる場合も珍しくありません。

イケムの苦労その2:苦難のビジネス

1800年代、イケムの最大の顧客がロシアでした。当時、甘い飲み物や食べ物は贅沢品で、大富豪の口にしか入りません。当時、世界有数の大富豪がロシアの皇帝で、極甘口のワインを好んで飲んでいました。

ところが、1905年の第1次ロシア革命、1917年の第2次ロシア革命により、ニコライ2世が捕らわれてロマノフ王朝が崩壊。レーニンが率いる人民が政権を握りました。

それまで、贅沢の限りを尽くし、イケムの最大の顧客だったロシアが、一転して「贅沢は敵だ」の人民政府が立ち上がり、イケムはロシア市場を失いました(ルイ・ロデレールをはじめとするシャンパーニュも同じ運命でした)。

これに追い打ちをかけたのが、アメリカの禁酒法です。1920年から1933年まで続いた法律で、イケムの大のお得意様だったアメリカ市場も瞬間的に消滅しました。泣き面にスズメバチの大群ですね。

まだまだ苦難は続きます。

第2次世界大戦で世界中の消費が冷え込み、また、フランスはドイツに占領されて十分な電気、石油、労働力を確保できません。1945年に戦争が終わってほっとしたのもつかの間、ブルーナンのような人工的に甘くした超安価なワインが世界中にあふれました。

かくして、天然の極甘口ワインの市場が壊滅状態。イケムの需要も価格も品質も低迷し、利益はほぼゼロとなりました。

1973年のオイルショックも大打撃となり、1本35フランまで価格が下がります。

持ち直したのは1980年代で、アメリカでレーガン大統領が就任し、景気が良くりました。

特に、1983年は、イケムの大当たり年だったこともあり、アメリカでイケムの人気が一挙に上がります。この好景気がなければイケムは倒産していたでしょう。

イケムの苦労その3:お家騒動

長い歴史があり、社会的な地位が高く、莫大な資産を持った一族には、昔からお家騒動が絶えません。

ブルゴーニュでは、ロマネ・コンティを造るヴィレーヌ家とルロワ家の争い、カリフォルニアのナパでは、モンダヴィ家のロバートとピーターの壮大な兄弟喧嘩が有名です。

ボルドーで、というよりフランスで圧倒的に有名なお家騒動はイケムのリュル・サリュース家とアンゲルロ家のドタバタ騒動でしょう。

お家騒動の発端は、リュル・サリュース家の娘であるイザベルがアンゲルロ家に嫁いだことです。長男のベルトランがイケムを継いで経営者になり、弟のアメデと妹のイザベルがイケムの株式を分割して相続しました。

ベルトランには子供がおらず、イザベルの息子であるルイ(ベルトランの甥)をイケムの支配人にしました。1957年の頃です。

ルイは、「将来、イケムの経営者になれるかも」とやる気満々です。

70歳を過ぎたベルトランと20歳のルイは、当初、仲が良かったのですが、次第に険悪なムードになります。ルイは、辛口の「イグレック」を造ったり、海外市場を開拓するなど、改革を進め、じり貧だったイケムの経営状態を改善しようと一生懸命でしたが、この努力が裏目に出ます。

ベルトランの目には「俺がもうすぐ死ぬと思い、イケムを乗っ取ろうとしている」と映り、イケムを自分だけで支配したかったベルトランは、「お前がイケムを継ぐなんぞ、100年早いわ」と6年後にルイを叩き出してしまいます。

ここから、リュル・サリュース家とアンゲルロ家の戦いが始まります。

優秀なルイは、すぐにモエ・エ・シャンドンの営業部長になり、後にLVMHの経営陣に加わるほど出世しました。このことは、1996年にLVMHが、イケムの株式の過半数を100万ドルで買収する伏線になります。

ボルドーでは長子相続が基本でしたが、ベルトランには子供がおらず、弟のアメデの息子にイケムを継がせることにしました。アメデには、ウジェーヌ、フィリップ、アレクサンドルの3人の息子がおり、本来は長男のウジェーヌが経営権を相続するのですが、当時のフランスの貴族には、「長男は、爵位と財産を引き継ぐ代わりに、家族の面倒を見る」との不文律がありました。

3人兄弟の中でも最も優秀で軍人だった1歳下の次男のフィリップがアルジェリアで訓練を受けている時に精神を病んでしまいました。以降、ウジェーヌは24時間、付きっきりでフィリップの世話をします。結果として、ウジェーヌと13歳下の三男のアレクサンドルの2人でイケムを相続することになりました。

株式は、ウジェーヌが47%相続しましたが、2人がどのように分割所有するかは藪の中。これで、お家騒動が泥沼化しました。

元パラシュート降下部隊の軍人だったアレクサンドルは(リュル・サリュース家には、男は兵役に就かねばならないとの家訓があります)、ワイン造りの経験がないまま、イケムを仕切ります。1968年12月19日のことです。

イケムの株式は、両家を合わせて50人以上が所有しています。経営状態が良くない時は誰も配当を気にしませんでしたが、1983年からイケムが莫大な利益を上げるようになり、一族による株主総会では「モノを言う」株主が増えました。

最大株主のウジェーヌは、フィリップの看病のため毎回欠席します。お家騒動も嫌だったのでしょう。

一方のアンゲルロ家のルイの息子、ベルトランが経営の大改善を求めてアレクサンドルに集中砲火を浴びせ、株主総会で経営の大改造案を出しました。

アレクサンドルは、お山の大将であり独裁者だったそうで、「若造の言うことなど聞いておれぬわい」と提案をすべて無視したとのこと。一方、アンゲルロ家側は、あの手この手で反撃に出ます。そんな貴族同士の喧嘩は、フランス人の絶好の娯楽になりました。

リュル・サリュース家は、先代からムートンのフィリップ・ド・ロートシルト男爵が大嫌いで、1級に昇格しようとするムートンの足を引っ張ったと言われています。ムートンが、安価な「ムートン・カデ」を出して莫大な利益を上げたり、カリフォルニアでモンダヴィと共同で立ち上げたオーパス・ワンが世界的に注目されていることが面白くなかったらしく、地道なビジネスが信条のアレクサンドルは、いろいろな場所で多角的にビジネスを展開するムートンと同じ路線は絶対に行かないと心に決めたそうです。

一方、アンゲルロ家のベルトランは、ビジネス・スクールで経営学修士を取得した若手の経営者志望。アレクサンドルとは年齢も大きく違えば、考え方も正反対。近代的な経営を目指します。どんぶり勘定のアレクサンドルの使途不明金を追求したり、セカンド・ラベルを出すなど、経営革新を強く要求しました。

アレクサンドルは、臨時株主総会と偽って通常株主総会を開いたり、自分の権力を最大限にするため、新しい会社組織にするなど、抵抗しましたが、1996年11月28日、ウジェーヌが全株式の47%に相当する自分の持ち株をLVMHへ1億ドルで売却。これでアンゲルロ家の勝利に見えましたが、アレクサンドルは株式の売買は不当であると2回に渡って裁判所に訴えます。

所有権が移っても、アレクサンドルはイケムの支配人として残りました。2004年5月17日、アレクサンドルは70歳で引退します。後継者は、シュヴァル・ブランのピエール・リュルトンです。

子供の誕生年の記念用

ワインの中で、熱の変化や劣悪な保存条件に最も強く、最も頑丈なのはバローロ、バルバレスコ、ローヌの赤と思ってしまいますが、実はソーテルヌです。

中でも、イケムは異常に長命で、例えば、ワイン界の帝王ロバート・パーカーは1996年に試飲したイケム1811年に100点満点をつけています。

糖分が異常に多いのが長寿の秘密で、新聞紙でイケムをぴっちりと巻いて匂いのない押し入れの奥に入れておくと、常温でも20年はきちんと熟成すると思います。子供が生まれた年の記念ワインとして20年後に開けたり、結婚した年のイケムを買って、金婚式で開ける場合に絶好ですね。

人生や結婚生活には山あり谷ありです。イケムも、ジェットコースターのように、いろいろな困難や幸運がありました、と言うか困難の方が多いように思います。

でも、全て乗り切って「世界最高峰のデザートワイン」として名声を博しています。20年後、50年後を想像しイケムを1本、手元に置いてはいかがでしょうか?

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葉山 考太郎
葉山 考太郎

シャンパーニュとブルゴーニュを愛するワイン・ライター。 ワイン専門誌「ヴィノテーク」、「神の雫(モーニング)」等にコラムを執筆。 2010年にシャンパーニュ騎士団オフィシエを受章。 主な著書は「クイズでワイン通」「今夜使えるワインの小ネタ(以上講談社)」、「30分で一生使えるワイン術(ポプラ社)」など

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