ペトリュスがボルドーで最も高価なワインになった5つの理由

ボルドーが世界に誇るワインが、メドックの5大シャトーで、これにサンテミリオン地区のオーゾンヌとシュヴァル・ブラン、ポムロルのペトリュスを加えて「ビッグ8」、さらに、デザート・ワインの最高峰であるイケムを入れて9大シャトーですね。

この中で、他の8本のワインより50%以上も高値がつくワインが「ペトリュス」です。

世界のワイン愛好家が追い求めるペトリュス。なぜ、ペトリュスがボルドーで最も高価なワインになったのか、その理由を探ってみました。意外な事実が満載です。

理由その1:ロバート・パーカーの後押し

つい40年前、日本ではルービックキューブが大流行し、千代の富士が横綱で、タモリの『笑っていいとも!』が始まった頃、ボルドーのワイン生産の中心はメドック地区でした。

中でも、サンテステフ村、ポイヤック村、マルゴー村、サン・ジュリアン村は栄光と名誉を独占。神に選ばれた地ですね。

メドックのワイン生産者には、ガロンヌ河、ドルドーニュ河を二つ越えたところにあるポムロル村やサンテミリオン地区は田舎の生産地でした。

例えば、1945年。ボルドーの大手ネゴシアン、クルーズ家がサンテミリオンのシュヴァル・ブランと、マルゴー村のディサンのどちらを買うか悩んでいたそうです。今の日本のワイン愛好家に聞くと、全員「シュヴァル・ブランの一択だろ?」と即答しますね。でも、クルーズ家の奥さんが、「シュヴァル・ブランは河向こうの田舎で、蚊がいるからイヤだわ」と言ったためディサンを買ったそうです。あぁ、もったいない。

ちなみに、幻と言われるボルドーの最高傑作にして最高価格のワイン、シュヴァル・ブラン1947はその2年後にできたので、ますますもったいない……。

1855年にボルドーのワインを格付けする時、格付けを請け負ったボルドー商工会議所は、右岸のポムロルやサンテミリオン地区は眼中になかったようで、メドックのみを格付けの対象にしました。

平安時代から室町時代、京都の人は、関ヶ原より東はキツネとタヌキしか棲んでいないと言っていました。その京都で、現代でも威張っているのが、平安京のオーラが満載の上京区、中京区、下京区。加えて、殿上人が住んでいた内裏の左側の左京区と北側に位置する北区です。この五つの区は、メドック地区の四つの村同様、物凄く威張っています。

京都人には、「JR東海道線より南は京にあらず」との思いがあるようで、南側の山科区や伏見区は、いわれなく蔑まれているように思います。このあたりは、土地代が安いおかげで日本酒の酒蔵がたくさんあり、吟醸酒ができるようになったのでしょう。

この状況は、地代の高いメドックではなく、右岸の田舎でワインを造ったペトリュスも同じです。貧しい農家だったムエックス家の先代は、ボルドー右岸に移り住み、1938年から、樽でワインを買い付けてボトルに詰め、ワインを販売しました。その後、地価が安い右岸のポムロルにシャトーや畑を買収し、樽でワインを買うだけではなく、ワイン造りも始めます。こうしてペトリュスを取得しました。

「二つも河を越えた向こう側にある田舎」との感情は、40年前の東京にもあったように思います。ポイヤック村、マルゴー村、サン・ジュリアン村に相当する港区、中央区、千代田区の住民から見ると、ガロンヌ河、ドルドーニュ河に相当する隅田川と荒川の二つ越えた江戸川区や葛飾区(ボルドーなら、ポムロル村やサンテミリオン地区)は田舎のイメージがありました。今では、二つの川を越えた向こうには、ペトリュスやル・パンに相当する東京ディズニーランドとディズニーシーもでき、超人気スポットになっています。

40年前まで、田舎の安ワイン認定されていたポムロルとサンテミリオン。そこにスポットライトを当てたのがロバート・パーカーでした。アメリカの政治の中心、ワシントンDCに隣接するメリーランド州で弁護士をしていたパーカーが、趣味の延長で出したワイン会員誌『ワイン・アドヴォケイト』の創刊が1978年です。

当時のパーカーは、ぽっと出の新米ワイン評論家でしたが、1983年の春に「樽から試飲したところ、1982年のボルドーは世紀のヴィンテージであると確信している」と高評価しました。当初、世界中のワイン界の大御所評論家連中は、1982年を全く評価しておらず、「アメリカにとんでもないことを言っているヤツがいる」とパーカーを無視。

しかし、時間をおいて、いろいろな人が試飲するうちに評価が急激に上がり、樽に入っている状態でワインを買う先物取引(フランス語でプリムール、英語でフューチャー)価格がペトリュスの場合、30ドルから300ドルへ跳ね上がりました。

翌1984年、今度はブルゴーニュの1983年に対し、世界のワイン評論家が偉大なヴィンテージと高評価する中で、パーカーが一人だけ「雹の影響で腐敗果が混じっている可能性が高く、生産者によって品質に非常に大きなばらつきがある」と警告しました。これもズバッと的中したことから、新人パーカーは、一挙に「ワイン界の帝王」に就任したのです。

帝王パーカーは、今まで日の当たらなかったポムロルやサンテミリオンのワインを大きく取り上げました。今でも、パーカーは「オレがポムロルとサンテミリオンを発見したんだ」と威張っていますが、確かにパーカーの功績は非常に大きいと思います。

中でも、ペトリュスには、1961年、1982年、1989年、1990年など、100点満点を連発しました。パーカーの高評価により、「ペトリュスはボルドーで最高のワイン」の地位を確立したのです。

ボルドーのペトリュスと、ブルゴーニュのルロワは、パーカーの後押しがなければ、ここまで有名になり、またワインは高価にならなかったでしょう。

理由その2:アメリカ市場で大成功した

ボルドーは、世界の他の銘醸ワイン生産地に比べて圧倒的に有利な点があります。それは、ボルドーは港町であり、ワインの大消費地であるロンドン、ボストン、ニューヨークへ赤道を越えることなく船でワインを運べることです。内陸のブルゴーニュだとこうは行きません。

アメリカ人のパーカーがペトリュスをベタ褒めしたことに加え、ペトリュスを大改革して高品質ワインにした社長のクリスチャン・ムエックスの奥さんがアメリカ人であったことも、ペトリュスがアメリカで成功した要因だと思います。

クリスチャンは芸術が大好きで、かねてから、「川端康成や井上靖の小説にある繊細さに惹かれる」と言っており、そんなワインを目指しているそうです。

日本文学で1番のお気に入りが、川端の『眠れる美女』とのことで、それを聞いた私は「谷崎潤一郎みたいなマニアックでエロい世界が好きなんだなぁ。絵画だったら、マルセル・デュシャンやバルテュスみたいな変態系の現代美術が好きかもね?」と思っていたら、クリスチャンは本当に現代美術が大好きだと分かってビックリしました。

現代美術の中心がニューヨークです。アメリカに本社を構える現代美術の画廊のパリ支店にクリオスチャンが客として訪れた時に、支店長だったのが中国系アメリカ人のシェリーズさんで、後に二人は結婚します。

DRCの共同オーナーのヴィレーヌさん同様、奥さんがアメリカ人であることは、世界最大の高級ワイン輸入国であるアメリカで、ビジネスをする上で、大きな追い風になりました。

理由その3:大胆な改造

クリスチャンは、1968年にカリフォルニア大学デイヴィス校(UCデイヴィス)に入学します。22歳の時です。

1970年にブドウ栽培とワイン醸造学の学位を取得し、ポムロルに戻ります。ポムロルでは、父、ジャン・ピエール・ムエックスが設立したワイン販売会社、J.P.ムエックス社(創立は1937年)に入社し、クリスチャンが24歳の同年から2008年までペトリュスのマネジメントをします(※1)。

醸造学科を卒業したてで経験のない新人にペトリュスを完全に任せたお父さんの決断は素晴らしいと思います。

※1:クリスチャンの誕生日は1946年12月24日。クリスマス・イヴ生まれなので、クリスチャンと命名されました。日本なら聖司(たかし)でしょうか?

ペトリュスは、聖ペテロのことで、12使徒の筆頭格です。天国の扉の鍵を持っているのが特徴で、ペトリュスのラベルでも、しっかり鍵を持っています。ちなみに、12使徒は、持ち物から誰か分かるようになっていて、聖ペテロが鍵なら、聖ヤコブがホタテ貝、聖ヨハネが杯、聖トマスが三角定規です。聖ヤコブのホタテ貝を大きくあしらったのが、ペサック・レオニャンの名門シャトー、カルボニューの白です。

クリスチャンが1982年からナパで作る銘醸ワイン、ドミナスは、「家の主」を意味するラテン語で、「ドメーヌ」の語源にもなっています。ドミナスを大文字で書くと「主イエス」の意味になります。このように見ると、ペトリュスには、あらゆる場所にキリスト教が溢れていますね。

今でこそ、UCデイヴィスは世界最高峰の醸造系の大学で、世界中のワイナリーの子女が行列を作って入学を待っていますが、当時はカリフォルニア以外では全く無名で、学生も数人しかいません。

でも、ナパやソノマのワイン生産者と共に、アルコール発酵の温度コントロールや、マロラクティック発酵の制御など、最先端の研究を進めていました。その成果が出たのが「1976年のパリスの審判」で、無名のカリフォルニアの赤白ワインが、ボルドーとブルゴーニュの一流どころを撃破したのです。

カリフォルニアのワインだけでなく、UCデイヴィスも無名の頃から、クリスチャンが注目していたということは、ムエックス一族には「先見の明がある」ということですね。

ペトリュスの総支配人になったクリスチャンは、1973年、「グリーン・ハーベスト」を実施します。これは、ブドウに立派な緑の実ができ、あと1か月で黒く変色する夏に、ブドウの房を20%~30%も間引くことです。こうすれば、実に養分が行き渡り凝縮感の高いブドウができます。

しかし、ブドウは神から賜った物と考える長老には、緑のままの実を切って捨てることは「神への冒涜」です。第二次世界大戦中にドイツに占領され、物がない時代を経験して質素が身体に染みついている年代の人々も、実を捨てるのは罰当たりと思ったとのことです。また、間引くことで、収穫減になるのは大きなリスクでもあります。

UCデイヴィスでは、グリーン・ハーベストの効果は実証されていましたが、ボルドーでやった人は誰もいません。周囲の長老から非難やバッシングを受けただけでなく、父親からも文句を言われましたが、26歳のクリスチャンはグリーン・ハーベストに挑み、見事に成功しました。

ロバート・パーカーの試飲コメントによると、「水っぽさを感じる1973年物が非常に多い中、ペトリュスは凝縮感が異常に高く芳潤で香りが素晴らしい」とベタ誉めしています。若くて先見の明がないと、グリーン・ハーベストの発想はなかったでしょう。

理由その4:生産量が少ない

ボルドーを代表する5大シャトーは、立派な門構えの醸造施設を所有し、年産が2万ケースを越えることも少なくありません。一方、右岸の生産者は、ペトリュスにしろ、ル・パンにしても、小規模で、建物が非常に質素で、納屋かアパートのように見えます。

ペトリュスの生産本数はメドックのシャトーの10分の1に近い3,000ケース、ル・パンに至っては600ケースとスズメの冷や汗ほどしかありません。

最も作品数が多い画家としてギネスブックに載っているのがパブロ・ピカソで、15万点もの作品を残しています。一方、寡作の代表が、日本人も大好きな画家、ヨハネス・フェルメールで、33点~36点です(真贋が不明の絵があるので、作品数ははっきりしません)。

流通する数が少ないと、稀少価値と価格は急激に上がります。左岸にある5大シャトーのワインに比べると、ペトリュスの価格が50%増なのは、稀少価値の高さに大きく関係していると思います。

理由その5:ポムロルには格付けがない

フランスは階級社会で、ランキングや格付けが大好きです。ボルドーには、あの有名なメドックの格付けがあり、10,000を越える生産者がブドウを育てワインを造っている中、61のシャトーが格付けシャトーとして威張っています。

この他、ボルドーでは、極甘口白を造るソーテルヌ、赤白のグラーヴ、右岸にあるサンテミリオン地区でも格付けをしています。1本10万円を越える超高級ワインを造る世界中の銘醸ワイン生産地の中で、格付けをしていないのは、ポムロルとカリフォルニアぐらいでしょう。

格付けがあると、消費者には高級ワインであることが分かりやすいのですが(1855年のメドックの格付けも、パリ万博へ来る観光客用の「美味しいワインガイド」として定めました)、何年も経つと格付けの上に胡坐をかく生産者が増えますし、格付けが低い生産者は、上質のワインを造っても価格が上がりません。

例えばメドックでは、2級のコス・デストゥルネルがパーカー・ポイント95点超を連発し、2016年には100点をゲットしますが、ラフィットやラトゥールの価格を越えられません。

格付けがないと、消費者は高品質ワインを自分で探さねばなりませんが、品質と価格が比例するようになります。実力が価格に直結するので、生産者はやる気が出ますね。

ボルドーの名門生産者、ラフィット、ラトゥール、マルゴー、オー・ブリオン、ムートン、オーゾンヌ、シュヴァル・ブラン、イケム、ペトリュスの9大シャトーの中で、圧倒的に高価なワインがペトリュスであり、また、唯一の「無冠の帝王」です。

まとめ

ペトリュスには長い歴史があるように思いますが、品質が急速に上がったのは、クリスチャンが管理を始めてからですので、50年ほどのお話です。

クリスチャンは、歴史があって高貴な富豪生産者の家系の出身ではなく、貧しい農家に生まれました。

ただし、先見の明に恵まれていたことで、右岸のポムロルにある低価格のシャトーを少しずつ購入し、カリフォルニアで学んだ最先端の技術をボルドーで実践しました。『プロジェクトX』のように、地道な努力が開花して、ビロードの舌触りがある極上ワインになったのです。

一歩一歩、コツコツと努力した成果、大成功した時のお祝いではペトリュスを開けるべきですし、ペトリュスこそ相応しいと思います。