Premium Familiae Vini(注1)のメンバーであり、参加する名門ファミリーの中でも、1385年創立という圧倒的に長い歴史をもつ、名門中の名門アンティノリ。イタリア全土にワイナリーを所有し、幅広い価格帯の様々なワインを生産しています。
(注1)世界最高のワイン生産ファミリーが加入する団体。シャトー・ムートン・ロートシルトやオー・ブリオンなど名だたる一族が加入している。
しかしやはり、アンティノリと言えば本拠地トスカーナに特化した生産者です。トスカーナのワインを世界に送り出し、イタリアワイン近代化の鍵となった「スーパータスカン」というカテゴリの誕生は、アンティノリなしには語れません。
スーパータスカンとは
スーパータスカンとは、イタリア・トスカーナ州で誕生した、ワイン法を無視した自由な発想で造られた高品質なワインのこと。言わずとしれたサッシカイアが、その草分け的存在です。
ワインの伝統国であるイタリアのワイン法は、生産エリアに対して品種や製法まで、厳しく規定されています。伝統主義で地元愛に溢れたこの法律は、現在でもイタリアの個性豊かなブドウやワインを守るのに一役買っています。
しかし一方で、これでは自由なアイデアでのワイン造りの余地がありません。原材料から製造方法までこのワイン法に則って造られなかった場合、法的に高品質な区分DOCには認められないのです。
そんな法律を無視して、ワイン先進国であるフランスの技術や品種を導入し、イタリアのワイン法に囚われない高品質なワインを造ろうというムーブメントがスーパータスカンの始まりでした。
権威には逆らわずにいられない、ある意味でイタリアらしいワインなのかも知れません。
スーパータスカンの立役者アンティノリ
スーパータスカンは、1968年のサッシカイアを皮切りに、1970年代以降に次々と生まれます。この一大ムーブメントの大きな原動力となったのが、アンティノリ一族でした。スーパータスカンの代表的な銘柄であるサッシカイア、ソライア、オルネライアには全てアンティノリ家が関係しています。
サッシカイア
元祖スーパータスカンのサッシカイアの現在の評価は、アンティノリ一族の所縁なくしては生まれなかったかも知れません。
サッシカイアを生み出したマリオ・インチーザ・デッラ・ロケッタ侯爵は、アンティノリの前当主ニコロ氏の従弟。1968年、それまで自家用に造っていたサッシカイアを製品化するにあたり、ニコロ氏が当時アンティノリの醸造長を務めていた伝説の醸造家ジャコモ・タキス氏を送りこみ、サッシカイアの高い評価を固めました。
オルネライア
オルネライアは、紆余曲折あり今でこそオーナーが異なりますが、アンティノリ現当主ピエロ氏の弟、ロドヴィコ・アンティノリ氏が1981年に造り、名声を確立したワイン。
ワイナリーもサッシカイアからほど近いため、当時はよくサッシカイアのアドバイスを受けてワインを造っていたそうです。サッシカイアにはブレンドされていない、メルロを使っている点でキャラクターが異なります。
ソライア
1978年にリリースされたソライアは、今でもアンティノリが手掛けるカベルネ・ソーヴィニヨン主体の最高品質のワインです。生み出したのはもちろん、サッシカイアを手掛けたジャコモ・タキス氏でした。
ただしソライアが造られる畑は、サッシカイアやオルネライアと同じボルゲリではなく、キャンティの丘陵地にあるため、ワインは全く異なる個性を持っています。
キャンティの悲運
ところで、スーパータスカンとは?の項でのご説明と若干矛盾しますが、実はスーパータスカンは大きく二通りに分けられるのをご存じでしょうか。
一つが、サッシカイアの生まれた沿岸部のボルゲリで国際品種を使って造られる、近代的なスタイルの新しいワイン。こちらが上述の説明にぴったりと当てはまるワインです。
そしてもう一つがスーパーキャンティとも言うべき、キャンティ地区で造られるサンジョヴェーゼ主体のワインです。これらは伝統的なエリアで、伝統的なブドウを使ってワインを造っているにも関わらず、キャンティを名乗れず格下のワインとしてリリースされた存在。キャンティの悲しい歴史が生んだ産物です。
それは19世紀から、渋みを和らげてワインを飲み易くするために行われていた、白ブドウを混ぜるという伝統的なブレンド方法が原因となりました。サンジョヴェーゼ種は少し固さを感じさせる渋味があるので、昔の技術では白ブドウを混ぜることが合理的だったのです。しかし、この白ブドウを混ぜる慣習が、近代のワイン法に組み込まれたことが悲運のはじまりでした。
1970年代に大量生産の時代が終わり、いざキャンティが高品質化を歩もうとした際に、白ブドウをブレンドする、ある意味で赤ワインを薄めなければならないという法律が大きな妨げとなったのです。
品質の高いワインを造りたいが、サンジョヴェーゼだけでは伝統的なキャンティという名前を名乗れない。一方で、キャンティを名乗るためにはワインを薄めなければならない―。
生産者たちが苦悩の末に選んだ道は、法律的には格下のワインになってでもキャンティの名前を捨て、高品質なワインをリリースすることでした。
そんなワイン法へのアンチテーゼとして、1971年にリリースされてスーパーキャンティの先駆けとなったのが、アンティノリが造るティニャネロ。キャンティの優良生産者たちは次々とこれに続きました。
このようにスーパータスカンのみならず、キャンティをも先導したのがアンティノリでした。
年 | 出来事 |
1967年 | DOC認定。わずか数年で面積が約4倍に拡がる |
1984年 | DOCG昇格に併せて改正 |
1996年 | 伝統的な生産エリアがキャンティ・クラシコとして独立。サンジョヴェーゼ100%が可能に。 |
2002年 | 外来種が20%まで使用可能に。(キャンティ・クラシコ) |
2006年 | 白ブドウ禁止で現行法に。(キャンティ・クラシコ) |
キャンティDOCの遷移
イタリアのワイン法はその後、キャンティのスター生産者達を取り込むために徐々に変化。現在では、当時はキャンティを名乗れなかったワインの多くが名乗れるようになりましたが、ティニャネロをはじめとしたほとんどのトップワインはキャンティには戻りませんでした。
アンティノリの真髄はトスカーナに在り
古代ギリシャからワインが伝来したイタリアは、フランスよりも長いワインの歴史を持つ伝統国。しかし、イタリアにとってワインは、フランスのような輸出品ではなく、地産地消の日用品だったことから高品質化が遅れていました。今でこそ銘醸地として知られているトスカーナも、1970年代以前はこのような日用酒の産地でした。
そんなトスカーナを、世界の表舞台に送り出したのが、アンティノリの造ったティニャネロやスーパータスカンでした。そしてこの小さなさざ波は、「イタリアワイン・ルネッサンス(復興)」と呼ばれるイタリア全土を巻き込んだワインの近代化、国際化への大きなうねりとなったのです。
今やイタリア全土でワインを生産するアンティノリですが、やはり、アンティノリの真髄はトスカーナに在ります。
我々が受け継いできた財産の中で最も大切な事は、『トスカーナであること』、いや『トスカーナのキャラクターを持っていること』でしょう。
―当主ピエロ・アンティノリ
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