ムートン家の可愛い末妹「シャトー・ダルマイヤック」秘話

パリの中心地がルーブル美術館のある1区、ニューヨークがセントラル・スクエアのあるマンハッタン地区、ロンドンがシティー、東京が港区としたら、ボルドーは、「王冠の中心に燦然と輝く真珠」であるポイヤック村です。

今回、取り上げるシャトー・ダルマイヤックはバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド家が、そのポイヤック村に所有する5級格付けの名門シャトーです。同家が他に所有する1級のムートン、5級のクレール・ミロンもポイヤック村に位置します。

ボルドー地方では、10,000軒を超える生産者が畑を所有してブドウを育て、ワインを造っていますが、その頂点に君臨するエリート集団が「1855年のメドックの格付けシャトー」の61シャトー。バロン・フィリップ家の三つのシャトーは、栄誉あるこの格付けシャトー全体の5%も占めているのです。

ボルドーのラベルの定番デザインはブドウ畑とシャトーの建物ですが、バロン・フィリップ家のムートン、クレール・ミロン、ダルマイヤックとも、これまで一度も「畑と建物」の図柄を使わなかったのは、ロスチャイルド家の強い信念を感じます。

シャトー・ムートン・ロートシルトを格付け1級に昇格させるなど、変革を起こしてきたフィリップ・ド・ロスチャイルド男爵を中心とする「ダルマイヤック」の歴史を紐解いていきます。

ダルマイヤックとはどんなワイン?

バロン・フィリップ家の所有するムートン、クレール・ミロン、ダルマイヤックは、同じ醸造チームがワインを造っています。当然、ワインの味わいが似ていて、ワイン愛好家から「ムートン三兄妹」と呼ばれています。

ムートンは「大きいお兄ちゃん」。例えれば、ドガ、ドラクロア、ミレー、マネ、モネ、ルノワールを輩出した世界的展覧会「ル・サロン展」で、入選した世界的な画家のような雰囲気を持っていて、圧倒的な存在があります。

クレール・ミロンは、運動神経が抜群の「小さいお兄ちゃん」。例えば、セリエAの新人王に輝いた若手サッカー選手でしょう。

そして、今回の主役であるダルマイヤックは「末の妹」。ショパンコンクールに入賞した少しお転婆で可愛いピアニスト、お利口さんのお嬢様の雰囲気があります。

二人のお兄ちゃんの陰に隠れて少し地味なダルマイヤックですが、柔らくて飲みやすく、とてもチャーミングと大好評です。

このスタイルは、例えばボルドーの1級シャトーで言えば柔らかいオー・ブリオン、サン・ジュリアン村の「レオヴィール三兄弟」で言えばレオヴィール・ポワフェレを好むのに似ています。

五つの名前を持つシャトー

日本人画家で、世界的に有名なのは圧倒的に、北斎、広重、歌麿などの江戸時代の浮世絵師です。

海外で大人気の葛飾北斎は、生涯で99回も引っ越しをしたと言われており、ノーベル文学賞を受賞したアメリカの作家、アーネスト・ヘミングウェイは、99回死にそうな事故に巻き込まれました(2日連続で乗った飛行機が墜落したのは、人類史上ヘミングウェイぐらいでしょう)。

そして、ボルドーの超有名シャトーの中で、99回も名前が変わったのがダルマイヤックです。

99回は大袈裟ですが、実際には以下のように五つの名前を持っています。

1750年~1932年 Château Darmailhac(ダルマイヤック)

1855年の格付け文書の実物。ダルマイヤックは「5級格付け(Cinquièmes Crus)」の上から8番目に記載してあります。

バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド家が、今のダルマイヤックを買収する前のシャトーの名称です。現在も「ダルマイヤック」ですが、スペルが微妙に違います。

1855年4月18日に制定した「メドックの格付け文書」には、現在の「d’Armailhac」ではなく「Darmailhac」と書いてあります。上図が実際の1855年の格付け文章です。

この写真は、さるヨーロッパのワイン通販で「ムートン・ダルマイヤック1928年」として出ていたボトルです。ラベルの中央真ん中にうっすらと「Mouton d’Armailhacq」の文字が見えます。

1928年はまだ、ムートンが買収する前ですが、在庫ごと買い取って、1928年物に「ムートン・ダルマイヤック」のラベルを貼ったのでしょうか?はたまた偽物でしょうか?

1933年~1955年 Château Mouton-d’Armailhacq(ムートン・ダルマイヤック)

ムートン・ダルマイヤックのラベル

1933年に、バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド家がダルマイヤックを購入し、名前の先頭にムートンが付きました。そして最後になぜか「q」も付き「d’Armailhacq」になっています。

改名の理由は「ダルマイヤック」だけだと、ブランデーの「アルマニャック」と紛らわしいためと言われています。

上記の1953年のラベルには、ヴィンテージ表記の下に細かい文字で「ムートン・ロートシルトとムートン・ダルマイヤックは、かつて同じ畑であったが、200年近く前に分割し、このたび再び、一つになった。二つのワインはともに素晴らしい。」と書いてあり、フィリップ男爵のサインが入っています。

この文章はヴィンテージによって微妙に変わり、ワイン産業に貢献したルイ15世に言及した文言もあります。

他のシャトーは、ワインのラベルにこんなに細かい字で詳細説明はしませんし(書くとしても、裏ラベルでしょう)、年によっても文章を変えません。なぜ、そんな面倒なことをしたのか?

私の推測ですが、ラベルにいろいろ書いたのは、フィリップ男爵の父、アンリがプロの作家(脚本家)で、フィリップも父の劇の演出をしたり、英語の脚本をフランス語に翻訳していたことが影響していると思います。脚本家は書くことが大好きですし、演出家は俳優に細かく指図をしますので。

1956年~1974年 Château Mouton-Baron Philippe(ムートン・バロン・フィリップ)

1957年のラベル

1956年には「ムートン・バロン・フィリップ」に改名。バロン・フィリップは、そのまま「フィリップ男爵」を意味します。ラベルに描いてあるのは二頭のスフィンクスで、フィリップ男爵と妻であるポーリーヌ夫人を表していると言われています。

ラベルにはムートン・ダルマイヤック時代と同様、ヴィンテージ表記の下に細かい字でびっしり何かが書いてあります。

一見、どのヴィンテージも同じ文章に見えますが、初ヴィンテージの1956年から1958年までは「ムートン・バロン・フィリップは、かつてのシャトー・ダルマイヤックであり、そこで造った上質のワイン。75ヘクタールの畑から25ヘクタールを厳選した」と書き、1959年と1961年のラベルでは「ムートン・バロン・フィリップは、メドックの格付けシャトーであり、シャトー・ムートンのセラーで造っている」と記載文章が変わりました。

1960年と、1962年から1966年までは「1855年のメドックの格付けシャトーであり」と格付けの年号を細かく入れ、1967年以降は説明文自体が消えました。

要は、毎回同じ文章ではないのです。これもフィリップ男爵の「演出家・脚本家魂」のせいでしょうか(ラベルの上部と左右に舞台の緞帳が見えますし)。

1961年のラベル

1975年~1988年 Château Mouton-Baronne-Philippe (ムートン・バロンヌ・フィリップ)

先代の「ムートン・バロン・フィリップ」のラベルに描いた二頭のスフィンクスが一頭になり、舞台上部の緞帳もタッセルが付いて豪華になった

フィリップ男爵の当時の妻ポーリーヌ夫人はアメリカ人のファッション・デザイナー。ポーリーヌ夫人は二人目の妻で(再婚は1954年)、最初の妻、エリザベートは第二次世界大戦中にナチスのユダヤ人強制収容所で死去しました。

ポーリーヌ夫人は、1976年3月8日に他界します。その前年の1975年にシャトーの名前を「ムートン・バロンヌ・フィリップ」に改名しました。「バロンヌ」は「男爵夫人」の意味です。

なぜ、夫人が亡くなった後ではなく、前年にシャトーの名前を変えたのかは不明です。また、上記の1988年のラベルで中央に大きく書いた「ムートン・バロンヌ・フィリップ」の下に、金色で「en hommage à Pauline(ポーリーヌ夫人に捧ぐ)」の文字が入っていますが、これを入れたのは亡くなった1976年からではなく、1979年ヴィンテージからです。

1976年に収穫したブドウでワインを醸造して樽熟成させると、1979年ごろにマーケットへ出荷しますので、1976年物用にオマージュ入りの新ラベルを印刷する時間的な余裕はありそうです。

また、フィリップ男爵の場合、死去したのが1988年ですが、毎年ラベルのデザインが変わるムートンでの「フィリップ男爵へのオマージュ・ラベル」は、前年の1987年ヴィンテージです。

年が微妙にずれていますが、あまり細かいことは気にしないのかお家の事情があったのでしょう。

1975年のラベル

1975年に改名したが「ポーリーヌ夫人に捧ぐ」の表示は1979年から

1989年~ Château d’Armailhac(ダルマイヤック)

1988年1月30日にフィリップ男爵が亡くなり、娘のフィリピ―ヌが跡を継ぎました。

フィリピーヌは、1989年のワインから「ムートン・バロンヌ・フィリップ」を「ダルマイヤック」に改名。1932年に買収した時のシャトーの名前も「ダルマイヤック」ですが、実は、スペルが微妙に異なります(今回は、最後の「q」がありません)。

改名の理由は「シャトー・ムートン・バロンヌ・フィリップ」だと、1級の「シャトー・ムートン・ロートシルト」と紛らわしいからとのことでした。

それを聞いた私は「名前で共通するのは『ムートン』だけだし、ラベルの雰囲気が全く違うし、それ以前に価格が違うので、間違いようがない…」と不思議に思っていたところ「実は、前妻のエリザベートの子供であったフィリピーヌと、後妻のポーリーヌが不仲であったらしい。そのため、フィリップ男爵の喪が明けた1989年に、継母を連想させる『バロンヌ』から、オリジナルの『ダルマイヤック』へさっさと改名した」との噂が聞こえてきました。

真相は藪の中ですが、後者に説得力がありそうですね。

新生ダルマイヤックは、ラベルを一新し、子供のバッカスを描きました。

ラベルの雰囲気は、以下に示すように「小さいお兄ちゃん」であるクレール・ミロンに似ていますね。

写真左からクレール・ミロン、ダルマイヤックの現在のラベル

おわりに

「芸能人や弁護士で成功するには、芸名や事務所名を変えてはならない」と聞いたことがあります。人気や知名度が重要なビジネスでは、たくさんの人に名前を覚えてもらう必要があり、普通は名前と電話番号を変えません。「二人のお兄ちゃん」と比べて、ダルマイヤックの知名度が低いのは、名前を4回も変えたためだと思います。

逆に言えば、高品質なのにお買い得と言えますね。これからどっしりと腰を落ち着けて二人の「お兄ちゃん」に迫る名声を得ることでしょう。

「三兄妹」の中でもムートンの雰囲気を手軽な価格で楽しみたい人には、ダルマイヤックがおすすめです。

スッキリとエレガントでスタイリッシュな「末妹」のダルマイヤックを飲みながら、名前やラベルが変わった歴史、フィリップ男爵に思いを馳せていただければ嬉しく思います。

シャトー・ダルマイヤック