【第五話】オマル・ハイヤームをご存知か

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公開日 : 2024.2.6
更新日 : 2024.2.6
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ワインを愛好する編集者・ジャーナリストの鈴木正文さんが、「一ぱいの葡萄酒」をテーマに寄せるエッセイ。第5回目は、ペルシアの詩人オマル・ハイヤームを取り上げます。

※連載タイトルに込めた鈴木正文さんの想いはコラム下部にて掲載しております。

著:鈴木 正文


編集者・ジャーナリスト。1949年東京生まれ。慶応大学文学部中退。CM製作会社進行助手、海運造船業界紙記者などを経て二玄社に入社後、雑誌編集に携わり、『NAVI』(二玄社)、『ENGINE』(新潮社)、『GQ JAPAN』(コンデナスト・ジャパン)各誌の編集長を務めたのち2022年に独立した。著書に『◯✕まるくす』(二玄社)、『走れ、ヨコグルマ』(小学館文庫)、『スズキさんの生活と意見』(新潮社)など。坂本龍一の2冊の自伝である『音楽は自由にする』(新潮社)および『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(同)では、聞き手を務めた。

まずは4行からなるおよそ1000年前の詩を読んでいただきたい。

酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、

また青春の唯一(ゆいつ)の効果(しるし)だ。

花と酒、君も浮かれる春の季節に、

たのしめ一瞬(いっとき)を、それこそ真の人生だ!


(オマル・ハイヤーム作 小川亮作訳『ルバイヤート』岩波文庫)

1040年ごろにペルシア(現在のイラン)に生まれたオマル・ハイヤームなる人物の詩である。このころのペルシアはトルコのトルクメン族の祖先が征服して建てたセルジュク帝国(1037-1194)の時代であるということだけれど、それが、では、どんな時代なのかというと、

大いなる政治的混乱の時期であったという。


ということはともかく、現在はサウジアラビアなどと並んで厳然たる禁酒国であるイランは、そのころすでにイスラム国家であり、飲酒は禁じられていたはずであるが、オマル・ハイヤームは、堂々と(むしろぬけぬけと)飲酒を称揚している。飲酒によって得られるいっときの酔いのうちにこそ「まことの人生」がある、というのだから。


だからといって、ハイヤームはただの飲んだくれだったとはいえない。というのも、かれは非常にすぐれた天文学者で、数学者でもあり、その代数学の論文のうちには、のちの微分法につながる知見があったとされるぐらいであったし、そしてなにより偉大な詩人であった。

オマル・ハイヤームのイラスト
Illustrated by 坪本幸樹

冒頭に掲げたハイヤームの詩を小川亮作(1910-1951)が訳出した岩波文庫の本のタイトルである『ルバイヤート』は、ペルシア語で「四行詩」を意味する。この本の岩波文庫版の初版は1949(昭和24)年で、75年前に出ており、いまも版を重ねている。ペルシア語の原典からハイヤームの創作になる四行詩143首を訳して収めている。ちなみに、訳者の小川は外交官として1932年から3年間テヘランに駐在し、このかんにペルシア語を熱心に学んだそうで、「ハイヤームの詩人としての名は昔も今もペルシアではすこぶる高い。だから田舎の農夫でもその詩の一首や二首は知っている」と、同書の「まえがき」で述べている。伝聞ではなくみずからの体験による証言である。


そのいっぽうで、「ここに訳出した『ルバイヤート』(四行詩)は、十九世紀のイギリス詩人フィッツジェラルドEdward FitzGeraldの名訳によって、欧米はもちろん、広く全世界にその名を知られるにいたった十一―十二世紀のペルシアの科学者、哲学者また詩人オマル・ハイヤームUmar Khaiyamの作品である」とも紹介しており、ハイヤームの名声が欧米文学界でも轟いていることに注意を喚起している。


小川によれば、ハイヤームは「自由思想家」で「唯物論者」であった。そもそも7世紀なかばにアラブ・イスラム軍によってササン朝ペルシアが滅ぼされてペルシアがイスラム化したのであってみれば、かれが「イスラムの禁酒の戎に対しても猛烈な反抗を示し、人間的な激しい口調で酒を讃え」たのは、「イラン人としての彼の民族的感情をも交えた人間性の深所からの叫びであった」とは、同書の「解説」における小川の指摘である。


冒頭の詩は、『ルバイヤート』に収録された143首のうちの133首目である。ここでいう「酒」とは、むろんワインのことで、酒を称える詩はほかにも随所に見いだされる。


いくつかランダムに挙げれば、「魂よ、謎を解くことはお前には出来ない。/さかしい知者の立場になることは出来ない。/せめては酒と盃(さかずき)でこの世に楽土をひらこう。/あの世でお前が楽土に行けるときまってはいない。」(4首)とか、「今日こそわが青春はめぐって来た!/酒をのもうよ、それがこの身の幸だ。/たとえ苦くても、君、とがめるな。/苦いのが道理、それが自分の命だ。」(16首)とか、「酒のもう、天日はわれらを滅ぼす、/君やわれの魂を奪う。/草の上に坐って耀󠄁(かがよ)う酒をのもう。/どうせ土になったらあまたの草が生える!」(64首)とか、「天国にはそんなに美しい天女がいるのか?/酒の泉や蜜の池があふれてるというのか?/この世の恋と美酒(うまざけ)を選んだわれらに、/天国もやっぱりそんなものにすぎないのか?」(88首)とか、「この世に永久にとどまるわれらじゃないぞ、/愛(いと)しい人や美酒(うまざけ)をとり上げるとは罪だぞ。/いつまで旧慣にとらわれているのか、賢者よ?/自分が去ってからの世に何の旧慣があろうぞ!」(93首)とか、「いつまで一生をうぬぼれておれよう、/有る無しの論議になどふけっておれよう?/酒をのめ、こう悲しみの多い人生は/眠るか酔うかしてすごしたがよかろう!」(143首)とか……。


しかし、『ルバイヤート』がうたうのは、酒のもたらす楽土についてのみではない。たとえば、「なにびとも楽土や煉獄(れんごく)を見ていない、/あの世から帰って来たという人はない。/われらのねがいやおそれもそれではなく、/ただこの命――消えて名前しかとどめない!」(91首)という一首は、「たのしくすごせ、ただひとときの命を。/一片(ひとかけ)の土塊(つちくれ)もケイコバードやジャムだよ。/世の現象も、人の命も、けっきょく/ つかのまの夢よ、錯覚よ、幻よ!」(109首)と呼応して、人の世の無常を嘆じ、それゆえの享楽主義を鼓吹する。しかし、その享楽主義が浮かび上がらせるのは、(訳者も解説で指摘するように)この世に生きてあり、酒に耽溺することの快楽のみではない。この世に生きてあり、酒に耽溺することそのものの永遠ならざることへの、深い哀しみ=憂愁も、である。


そうだ、思い出した。


メドックに「シャトー・シャス・スプリーン」(Chateau Chasse-Spleen)という1本があることを。1821年にイギリスの桂冠詩人バイロンがこのシャトーを訪れ、そのワインを賞賛して、それを「シャス・スプリーン」と名付けたという。意味は、「憂鬱(スプリーン)の追放(シャス)」。憂さを晴らすワインというわけだ。


そうだ、もうひとつ思い出した。バイロンがワインにこの名を与えた1821年は、『パリの憂鬱』(Le Spleen de Paris)の作者であるボードレールの生まれた年であったことを。


となれば――、今夜はシャトー・スプリーンのコルクをあけようか。そして、ハイヤームをまねて、「酒をのめ、それこそ永遠の生命だ」と、吟じてみようか。


最後に、もう一首(51から)。

われらの後にも世は永遠につづくよ、ああ!

われらは影も形もなく消えるよ、ああ!

連載タイトルについて

永井荷風がほぼ1年のフランス遊学を終えて、日本に帰る船にロンドンから乗ったのは1908(明治41)年6月のことであった。『ふらんす物語』として翌年に公刊されるはずが風俗を乱すとして発禁処分となり、後年(1915年)、日の目を見たこの本のなかに、「1908年6月船中にて」とのただし書きのある「巴里のわかれ」というタイトルの小文がある。


それは、日本に帰るべく、パリから列車に乗り、ディエップ港で船に乗り換えて英仏海峡を渡ってロンドンに投宿した荷風が、ヨーロッパで過ごす最後の晩の食事をとりに外出し、辻馬車の御者にたずねて、「フランス人の居留地」があるというオックスフォード・ストリートの、とある「汚い安料理屋」に入ったときの回想をつづったものである。そこは「懐しい三色の国旗がユニオンジャックの旗と差し違いに出してある料理屋」であった。荷風は書く。


「……入口に近く、よごれた白布(ナップ)を敷いたテーブルには三人の職人風の男、中央(まんなか)には商人らしい男が四五人、稍(すこし)離れた片隅には醜からぬ女が一人坐っていた。その服装、容貌、帽子の形、見すぼらしいけれども一目見て特徴の著しい『巴里女』(パリジエーヌ)である。自分はさながら砂漠の中に一帯の青林(せいりん)を見出したような気がした」と。


そうして、その「パリジエーヌ」が、「汚れた壁に添うた汚れたテーブルの上に片肘をつき、物思わし気に時々は吐息をもつくようで、手にした肉叉(にくさし)に料理をさしながら食べようともせず、蝿の糞で汚れた天井を現(うつつ)に仰いでいる様子は、どうしても異(ちが)った国から移植(うつしう)えた草花の色もあせやつれた風情である」として、荷風は、その「もの淋しく物哀れ」な様子に「漂白(さすらい)の悲しみを覚え」、こう述べる。


「あの女はどうしてあの美しいフランスを去ったのであろう。若しこれが巴里の街であるならば、同じ場末の安料理屋にしても、アブニューを蔽うマロニエの若葉の蔭、道端のテラスで、紫色に暮れて行く街の人通を眺め、何処からともなく聞えて来るヴィヨロンの調(しらべ)を聞きながら、陶然一ぱいの葡萄酒に酔おうものを……と今は他人(ひと)の身の上ならぬ過ぎし我が巴里の生活を思いはじめる」と。


このとき、荷風の想念をよぎった「一ぱいの葡萄酒」への万感のおもいは、また、歓びはいうまでもなきこととして、「漂白の悲しみ」をも縁なしとしない僕(たち)のおもいでもある。葡萄酒は飲まれるべきものばかりではない。それは(ぜひとも)語られるべきものでもある。そして、葡萄酒をめぐる語りは、願わくば、「一ぱいの葡萄酒」の美味を増すものであってほしい。そんなおもいをこめて、この連載のタイトルを「一ぱいの葡萄酒」とすることにした。(鈴木正文)

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