【第一話】ムートンとボードレール

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公開日 : 2023.9.20
更新日 : 2024.1.12
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ワインを愛好する編集者・ジャーナリストの鈴木正文さんが、「一ぱいの葡萄酒」をテーマに寄せるエッセイ。第1回はバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドの2代目オーナー、フィリピーヌ・ド・ロスチャイルドとの出会いと彼女の人生について取り上げます。

※連載タイトルに込めた鈴木正文さんの想いはコラム下部にて掲載しております。

著:鈴木 正文


編集者・ジャーナリスト。1949年東京生まれ。慶応大学文学部中退。CM製作会社進行助手、海運造船業界紙記者などを経て二玄社に入社後、雑誌編集に携わり、『NAVI』(二玄社)、『ENGINE』(新潮社)、『GQ JAPAN』(コンデナスト・ジャパン)各誌の編集長を務めたのち2022年に独立した。著書に『◯✕まるくす』(二玄社)、『走れ、ヨコグルマ』(小学館文庫)、『スズキさんの生活と意見』(新潮社)など。坂本龍一の2冊の自伝である『音楽は自由にする』(新潮社)および『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(同)では、聞き手を務めた。

「私にはかれらのよろこびの声が聞こえます。日も差さない暗くてカビ臭いあの牢獄からようやくぬけ出ることができて、長い旅をしたあげくに気づいたら、気持ちがうきうきする笑い声やにぎやかなおしゃべりが聞こえてきて、いったいなにがあるんだろうとおもっているうちに、頭の上を塞いでいたコルク栓が抜けたとたん、おお、なんということでしょう、新鮮な空気が流れ込んできたのです。私は久しぶりに、全身に沁みわたるように、それを深々と吸い込んで、そうして、夜だというのにキラキラとあかるい光がいっぱいの、この部屋に招き入れられ、おしゃれをしてめかしこんだ人々のお仲間にくわわって、いまこうしてかぐわしい香りを解き放つことができました。私が、あの冷たい洞穴のなかで長い眠りを眠ったのは、この歓びのときのためだったのですね――、とワインがいっているのが、私には聞こえるのです」


こう話したのは、フィリピーヌ・ド・ロスチャイルドであった。バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド(ということは、シャトー・ムートン・ロスチャイルドのオウナー・ファミリーの当主)を父に、フランス貴族の血統であったエリザベート・ペルティエ・ド・シャンブルを母に、1933年にパリで生まれたかの女は、2000年前後のあるころ、東京にやってきて、フルコース・ディナーをともなう「シャトー・ムートン・ロスチャイルド」のヴィンティッジちがいの4本だったか5本だったかを料理とマリアージュさせて飲み、その味わいのちがいをくらべるという至極ぜいたくな、とある垂直試飲会イベントに臨席して、このようなスピーチを披露した。


幸運にも、かの女とおなじテーブルに居合わせた僕は感動した。ワインの気持ちになってワインを語る、ロスチャイルド・ファミリー当主の詩的な語りに。


フィリピーヌの父と母が結婚したのはかの女が誕生した1年後であった。母は、出産時、別の(ベルギー貴族であった)男性と婚姻関係にあった。その解消ののちに母はロスチャイルド家の一員となり、カソリックからユダヤ教に改宗し、そうして、フィリピーヌが10歳のときに、かの女の目の前で、ナチスの秘密国家警察である「ゲシュタポ」に連行されて強制収容所送りになった。フィリピーヌは、母を逮捕にきた2人のゲシュタポのうちの上官に、かの女とおなじ年ごろの娘があったために連行されなかったといわれている。エリザベ―トは1945年の3月に、ドイツ・ラーフェンスブリュックの女囚用強制収容所で落命した。ロスチャイルド・ファミリーのなかで、第2次大戦時のナチスによるホロコーストの犠牲者となったのは、エリザベートただひとりだけである。


このように、フィリピーヌの人生は、そのはじまりからして、波乱に富むものだった。コンセルヴァトワール(国立高等演劇学校)を卒業して、コメディ・フランセーズ(国立劇団/劇場)で、10歳年下のカトリーヌ・ドヌーヴと共演したこともあるれっきとした俳優でもあったかの女だから、そのスピーチがすぐれて演劇的で、ゆたかな情感をともなうストーリー・テリングなものであったことに不思議はなかったけれど、かの女がこえてきた試練が、話術のたくみさをこえるふかさを、その語りに与えていた。フィリピーヌは、父フィリップが他界した1988年に、ムートン以下、ダルマイヤックとクレール・ミロンの3つのボルドー・シャトーを引き継ぎ、「バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド」初の女性当主となっていた。

Illustrated by 坪本幸樹

ここで、話のついでに、若かりしころ(ジョルジュ・フィリップという偽名のもとに)ブガッティのレーシング・カーをドライヴしてモナコをはじめとしたグランプリ・レースやル・マン、タルガ・フローリオなどのロード・レースでも大活躍した一流のレーシング・ドライバーでもあった父フィリップの遍歴にも触れたくなったけれど、それは別の機会にゆずらなければならない。いずれにせよ、ムートン・ロスチャイルドなる名ワインの背後には、並々ならぬ人生の、少なからぬエピソードが潜んでいるのである。


そうして――。フィリピーヌのスピーチは、ボルドー・シャトーの格付けが行われた1855年のパリ万国博覧会の2年後に、その初版が出版されたボードレールの『悪の華』のなかの、「葡萄酒の魂」という詩を想起させた。阿部良雄訳(『ボードレール全詩集』ちくま文庫)によると、それはこのようなものだ。

ある夕べ、葡萄酒の魂が、壜の中で歌っていた――

「見棄てられた友、人間よ、きみに向けて私は発する、

私のガラスの牢獄、朱色の封蝋の下から、

光と兄弟愛にあふれる、一つの歌を!


私は知っている、私の生命(いのち)を生み出し、

私に魂を与えるためには、炎と燃える丘の上で、

どれほど骨折り、汗を流し、太陽に焼かれねばならぬかを。

だが私は恩知らずではないし、害をする気もちっともない、


なぜなら、労働にくたびれた人間の喉の中へと

落ち込む時、量(はか)り知れぬ歓びを感ずる私だし、

彼の熱い胸こそは、やわらかな墓穴で、

私の冷たい穴倉にいるより、よほど居心地がよい。


私の動悸する胸の中に、希望がさえずり、

日曜の繰り返し句(ルフラン)の鳴りひびくのが、聞えるかね?

テーブルに両肘をつき、袖をまくり上げ、

きみは私を誉めたたえて、満足するだろう。


きみの細君をうっとりさせて、その眼に火を点(とも)そう。

きみの息子には、力と色艶をとり戻してやり、

かよわいながら人生の闘いにのぞむ彼のために、

闘技者の筋肉を強くする油ともなってやろう。


植物性の神饌(みけ)、私はきみの中に落ちてゆこう、

永遠の〈種撒く神〉の投げたもうた貴重な種子(たね)なのだ。

すると私たちおたがいの愛から詩が生れて、

珍しい花のように神へと迸(ほとばし)るだろう。」

この試飲会ディナーが催されたのは、エノテカ広尾本店のある建物の、2階にかつてあったエノテカ直営のレストランにおいてで、主催者は当時のエノテカの社長で、現顧問の廣瀬恭久さんであった。ちなみに、フィリピーヌは2014年8月に、その生涯を終えた。80歳であった。

連載タイトルについて

永井荷風がほぼ1年のフランス遊学を終えて、日本に帰る船にロンドンから乗ったのは1908(明治41)年6月のことであった。『ふらんす物語』として翌年に公刊されるはずが風俗を乱すとして発禁処分となり、後年(1915年)、日の目を見たこの本のなかに、「1908年6月船中にて」とのただし書きのある「巴里のわかれ」というタイトルの小文がある。


それは、日本に帰るべく、パリから列車に乗り、ディエップ港で船に乗り換えて英仏海峡を渡ってロンドンに投宿した荷風が、ヨーロッパで過ごす最後の晩の食事をとりに外出し、辻馬車の御者にたずねて、「フランス人の居留地」があるというオックスフォード・ストリートの、とある「汚い安料理屋」に入ったときの回想をつづったものである。そこは「懐しい三色の国旗がユニオンジャックの旗と差し違いに出してある料理屋」であった。荷風は書く。


「……入口に近く、よごれた白布(ナップ)を敷いたテーブルには三人の職人風の男、中央(まんなか)には商人らしい男が四五人、稍(すこし)離れた片隅には醜からぬ女が一人坐っていた。その服装、容貌、帽子の形、見すぼらしいけれども一目見て特徴の著しい『巴里女』(パリジエーヌ)である。自分はさながら砂漠の中に一帯の青林(せいりん)を見出したような気がした」と。


そうして、その「パリジエーヌ」が、「汚れた壁に添うた汚れたテーブルの上に片肘をつき、物思わし気に時々は吐息をもつくようで、手にした肉叉(にくさし)に料理をさしながら食べようともせず、蝿の糞で汚れた天井を現(うつつ)に仰いでいる様子は、どうしても異(ちが)った国から移植(うつしう)えた草花の色もあせやつれた風情である」として、荷風は、その「もの淋しく物哀れ」な様子に「漂白(さすらい)の悲しみを覚え」、こう述べる。


「あの女はどうしてあの美しいフランスを去ったのであろう。若しこれが巴里の街であるならば、同じ場末の安料理屋にしても、アブニューを蔽うマロニエの若葉の蔭、道端のテラスで、紫色に暮れて行く街の人通を眺め、何処からともなく聞えて来るヴィヨロンの調(しらべ)を聞きながら、陶然一ぱいの葡萄酒に酔おうものを……と今は他人(ひと)の身の上ならぬ過ぎし我が巴里の生活を思いはじめる」と。


このとき、荷風の想念をよぎった「一ぱいの葡萄酒」への万感のおもいは、また、歓びはいうまでもなきこととして、「漂白の悲しみ」をも縁なしとしない僕(たち)のおもいでもある。葡萄酒は飲まれるべきものばかりではない。それは(ぜひとも)語られるべきものでもある。そして、葡萄酒をめぐる語りは、願わくば、「一ぱいの葡萄酒」の美味を増すものであってほしい。そんなおもいをこめて、この連載のタイトルを「一ぱいの葡萄酒」とすることにした。(鈴木正文)

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