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ワインショップ・エノテカ銀座店

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銀座店のブログ

ピション・ロングヴィル家の分かれ道

船木 里紗

2025.06.06
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二つに分かれた名門シャトー

シャトー・ピション・ロングヴィル・バロン と シャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランドは、

どちらもボルドー格付けの2級として非常に名高いシャトー。

元は同じ畑で名称はシャトー・ピション・ロングヴィルと呼ばれていました。


起源は1694年までさかのぼります。

当時、テレーズ・ド・ラウザンとピエール・ド・マザンが結婚。

テレーズはシャトー・マルゴーの元管理人ピエール・ド・ラウザンの娘で、優れた畑を持参金として持ち込みました。

これが、のちのシャトー・ピション・ロングヴィルの礎となります。


時は流れ、18世紀。

二人の間に生まれたジャック・ド・ピションは貴族の称号「ロングヴィル男爵」を受け継ぎ、

シャトーは「ピション・ロングヴィル男爵領」として知られるようになります。

ワイン造りに置いては、ブドウ栽培とワイン醸造が体系化され、すでに高品質のクラレット(ボルドー赤)として市場で高評価を得ていました。


18世紀後半から19世紀初頭には、シャトーの規模は拡大し、ポイヤックでもトップクラスの畑面積を持つまでに成長。

(※現在のバロン、ラランド両シャトーを合わせた土地は、当時はすべて一つの大所領として運営されていました。)

ジョセフ・ド・ピション・ロングヴィル男爵の時代には、建築物や醸造設備の整備が行われ、シャトーの名声はさらに高まります。

彼の治世中には、イギリス市場や他のヨーロッパ諸国への輸出も拡大し、国際的にも認知されるようになります。

1850年:相続による分割

当主ジョセフ・ド・ピション・ロングヴィルが死去し、遺産相続により、彼の5人の子どもたちによりシャトーが分割。


  • 息子たちが受け継いだ部分が「バロン」。
  • 娘たちが受け継いだ部分が「コンテス・ド・ラランド」。


この分割は、単なる土地の分離だけでなく、経営方針、ワインのスタイル、哲学の分岐へとつながっていきます。

CH.PICHON LONGUEVILLE COMTESSE DE LALANDE

格付け第一級シャトーに肩を並べる「スーパーセカンド」として、 長年ボルドーファンに愛され続ける銘柄のひとつ。

一般的にポイヤックのシャトーは、威風堂々として筋骨逞しい男性的なスタイルのワインが主流ですが、ピション・ラランドのスタイルはポイヤックの中でも華やかで優美そのもの。 「アタックはあくまでデリケートに。しかし中間から一気に広がってくる圧倒的な果実味、そしてフィニッシュには遠慮しない。」をモットーに掲げ、エレガンスと力強さを兼備するそのしなやかなスタイルは、 「ポイヤックの貴婦人」として一目置かれています。


「ポイヤックの貴婦人」 と呼ばれる理由には、ピション・ラランド が女性たちによって運営されてきた名門シャトーである事、

そして、中心人物であるマダム・ド・ランザク夫人によって、彼女の女性的感性がワインのスタイルに反映されたとも言われています。


ピション・ラランドは19世紀からミアール家によって所有されており、この家系はメドック地方でいくつかの格付けシャトーを保有していた名門です。

エドゥアール・ミアール=ド・ランクザン氏はシャトーの共同所有者の一人で、長年にわたり家族経営でピション・ラランドを守ってきました。

マダム・ド・ランザク夫人 は父親であるエドゥアール・ミアール=ド・ランクザン氏から、

1978年にシャトー・ピション・コンテス・ド・ラランドの経営権を引き継ぎました。


ワイン業界では当時としては珍しい、女性によるシャトー運営を1978年から本格化。彼女の代になってから、ピション・ラランドの品質は飛躍的に向上し、現在に至る「エレガンスと格調高いスタイル」を築き上げたのです。

2007年に売却され、現在はルイ・ロデレール社が所有してます。





CH.PICHON LONGUEVILLE BARON

ラトゥールやレオヴィル・ラスカーズ、レオヴィル・ポワフェレ等、トップシャトーが隣接している抜群の立地を持つ、メドック格付け第二級シャトー。

豊潤な果実味と刺激的なタンニン、そして長く続く余韻という最良のバランスに仕上がっています。

がっちりとした、壮大で厚みのある、ポイヤックらしい男性的なワインが特徴です。力強いピション・バロンながら熟成を経て女性的なエレガントな姿へ変貌する様には、驚かされるものがあります。


ピション・バロンは、1850年~1933年までは、個人経営のまま所有されておりましたが、

19世紀末~20世紀初頭はフィロキセラの影響や戦争、世界恐慌の影響で、畑は荒廃し、施設も老朽化し、

格付け2級でありながら品質、評価共に停滞期でもありました。


1933年に ボルドーのワイン商であるジャン・ボーリがシャトーを取得し、

畑の再整備、再建させ、醸造設備を刷新。

1980年代にはピション・バロンを現代の格付け第2級としての地位に回復させる土台を再確立。


1987年にAXAミレジムへ売却されるまでボーリ家が所有しておりましたが、

ピション・バロン を再建させた基盤が、売却される際の評価と価格上昇につながりました。



元は同じ畑ではありましたが、それぞれ全く違う道を歩んできた

ピション・ロングヴィル ・コンテスト・ド・ラランドとピション・ロングヴィル・バロン。

どちらも長く大切にされてきたのは言うまでもありません。

ぜひ飲み比べなどでそれぞれのルーツを感じでみてください。


皆さまにとって素敵なワイン時間になりますように。

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