ドメーヌ・アンヌ・フランソワ—ズ・グロは、ヴォーヌ・ロマネの名門、グロ家の血を引くドメーヌの一つです。伝説の醸造家、ジャン・グロ氏には3人の子供がいました。長女であるアンヌ・フランソワーズ女史(写真右)は、ドメーヌ・アンヌ・フランソワ—ズ・グロの当主となり、2人の兄弟ミッシェル氏とベルナール氏は、それぞれミッシェル・グロの当主、グロ・フェール・エ・スゥールの当主として活躍しています。ドメーヌ・アンヌ・グロの当主、アンヌ・グロ女史は、アンヌ・フランソワーズ女史の従姉妹にあたります。
父ジャン氏は、ヴォーヌ・ロマネを代表する造り手の一人として知られており、ドメーヌの良さを世に知らせた人物として、ブルゴーニュワインの歴史に名を残しています。
また、天才的な醸造感覚を持っており、十分な奥行きと複雑さを兼ね備え、フィネスに満ちた赤ワインを造りだし、『これぞブルゴーニュ赤ワインの模範』であると一世を風靡しました。
アンヌ・フランソワーズ女史は、看護婦としてディジョンの病院に勤めていましたが、1975年にポマールのドメーヌ・パランの長男フランソワ氏と知り合い、翌年20才で結婚、同年、叔父を手伝うために、ドメーヌ・グロ・フェール・エ・スゥールで働き始めました。ドメーヌで働くうちに、ドメーヌ運営に興味を抱き始め、1988年、自らのドメーヌ、『アンヌ・フランソワーズ・グロ』を立ち上げます。
現在、ドメーヌ・アンヌ・フランソワーズ・グロが
所有する畑は、約20ha。1990年にオート・コートの畑を、さらに1995年、サヴィニー・レ・ボーヌにプルミエ・クリュ・クロ・デ・ゲットを購入。続いて翌年の1996年、父ジャン・グロ氏の引退を機にリシュブールなどの畑を相続し、所有畑を拡大してきました。父ジャン・グロ氏が3人の子供に譲った畑の中でも、アンヌ・フランソワーズ女史は、フラッグシップワインであったリシュブールを筆頭に、エシェゾーなどの名高いアペラシオンを受け継いでいます。
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