
鈴木 正文さん
(編集者)
根っからのワイン好きで、「GQ JAPAN」編集長時代にはワイン連載も長年担当されていた鈴木正文さん。大のシャンパーニュ好きでもいらっしゃる鈴木さんにシャンパーニュとルイ・ロデレールについてお伺いしたところ、“近代詩の父”と称されるボードレールやパリ万博のお話が飛び出しました。文学や歴史に造詣の深い鈴木さんが語る、ルイ・ロデレールの魅力とは?

毎晩、シャンパーニュを含めた泡は欠かせないという鈴木さん。なぜ、あらゆるワインの中でもシャンパーニュなのでしょうか。
「19世紀のフランスの詩人、ボードレールは『悪の華』*1に収められた「葡萄酒の魂」という詩を、“ある夕べ、葡萄酒の魂が、壜の中で歌っていた―― ”*2とはじめて、葡萄酒には魂がある、とうたっています。
さらに1851年に発表した『葡萄酒とハシッシュについて』では、“葡萄酒は人間と同一視され得るものだ”*3ともいってます。
「葡萄酒の魂」の詩では、 “きみの細君をうっとりさせて、その胸に火を点そう”“きみの息子には、力と色艶をとり戻してやり”という詩行もある。
“細君”とか“息子”とかいっていますが、どちらもボードレール本人だし、僕たちじしんだ、とも読めますね。葡萄酒は、失っていた元気や忘れてしまった歓喜や希望を人に与える―― と、かれはいうわけです。
さらに、シャンパーニュを特定して、『葡萄酒とハシッシュについて』において、“良心的な音楽家は、一篇のオペラ=コミックを作曲するために、シャンパン酒を用いなくてはならない。
彼はそこに、件(くだん)のジャンルが要求する泡立ち軽快な陽気さを見出すであろう”と述べています。
シャンパーニュは、とりわけ明るいポジティヴなワイン、というんですね。一日の終わりを、よい本のページを閉じるようにポジティヴに閉じるにはシャンパーニュ一択です。」

ルイ・ロデレールの設立は1776年。その長い歴史を証明するエピソードも教えていただきました。
「ボードレールが46歳の若さで病没した1867年ですが、その年にパリで2回目の万国博覧会が開かれました。
1855年の最初のパリ万博はボルドーの格付けを生んだことで知られていますが、2回目には、その後の万博に踏襲された参加各国のパヴィリオンが設置されました。
会期中の6月7日にはパリで「三皇帝の晩餐」と呼ばれる贅を尽くした晩餐会も開かれました。
「三皇帝」とは、ロシア皇帝のアレクサンドル2世と皇太子で後のアレクサンドル3世、そしてプロイセン王国(後のドイツ)のカイザー・ヴィルヘルム1世です。そこでは16コースの料理と8種類のワインが8時間もかけて供されたといいます。
そのときに出たワインは、イケム、シャンベルタン、シャトー・マルゴー、シャトー・ラトゥール、ラフィット、そしてシャンパーニュ・ロデレールでした。
当時は、『クリスタル』は造られていませんが、暗殺を怖れていたロシア皇帝は、中身がよく見えて、なおかつ爆薬を凹みに隠せないフラットな瓶底のボトルにシャンパーニュを入れるように要求し、ルイ・ロデレールは特別なクリスタル製ボトルを作りました。
これがきっかけになって、クリスタル製ボトルのシャンパーニュが1876年に、ツァー御用達のシャンパーニュとして誕生します。『クリスタル』の誕生ですね。」

鈴木さんはルイ・ロデレール特有のロゼ・シャンパーニュの造りにも魅力を感じています。
「ルイ・ロデレールは、ピノ・ノワールの皮や種を果汁に漬け込むセニエ法*4でロゼ・シャンパーニュを造っています。
『クリスタル・ロゼ』が誕生したのは1974年。今でもロゼ・シャンパーニュは、白ワインに少量の赤ワインを加えて仕立てるアッサンブラージュ製法が一般的ですが、当時、セニエ法で造る生産者はほとんどいなかったのでは、と思います。
『クリスタル』が市販されたのは戦後の1945年からですが、それから約30年の後に、醸造責任者のジャン・バティスト・レカイヨンさんが『クリスタル・ロゼ』をセニエ法で造るという大冒険をします。
ルイ・ロデレールには長い歴史があるだけに枚挙にいとまがないほどエピソードがありますが、これも覚えておきたい話ですね。
いずれにせよ、ルイ・ロデレールはいちど飲んだら忘れられないシャンパーニュですが、なかでも『クリスタル・ロゼ』は格別です。毎晩は無理でも、なにかの節目には、ぜひ飲みたいですね。人生を高らかに肯定する(皇帝の)シャンパーニュですから。」

ルイ・ロデレールのシャンパーニュをひとくち口に含む際には、その余韻からにじみ出る歴史をも併せて味わう――
文学や歴史に紐づけた鈴木さんのお話は、約250年にも及ぶ長い歴史を持つルイ・ロデレールならではの魅力と味わいをさらに際立たせてくれます。
*1『悪の華』1857年初版
*2 阿部良雄訳『ボードレール全詩集Ⅰ』ちくま文庫
*3 阿部良雄訳『ボードレール全詩集Ⅱ』ちくま文庫
*4 セニエ法:ロゼ・シャンパーニュを造る際に用いられる醸造方法のひとつで、黒ブドウの果皮と果汁を一定時間一緒に漬け込み、色と風味を抽出した後、果汁を抜き取って発酵させる方法
Profile
鈴木 正文
編集者・ジャーナリスト。1949年東京生まれ。慶応大学文学部中退。CM製作会社進行助手、海運造船業界紙記者などを経て二玄社に入社後、雑誌編集に携わり、『NAVI』(二玄社)、『ENGINE』(新潮社)、『GQ JAPAN』(コンデナスト・ジャパン)各誌の編集長を務めたのち2022年に独立した。著書に『◯✕まるくす』(二玄社)、『走れ、ヨコグルマ』(小学館文庫)、『スズキさんの生活と意見』(新潮社)など。坂本龍一氏の2冊の自伝である『音楽は自由にする』(新潮社)および『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(同)では、聞き手を務めた。エノテカ・オンライン『おどるわいん』でも、『一ぱいの葡萄酒』をテーマにエッセイを寄稿いただいた。
鈴木正文の『一ぱいの葡萄酒』
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