世界で最も有名な5大シャトーの中の筆頭格「シャトー・ラフィット・ロスチャイルド」

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公開日 : 2021.3.24
更新日 : 2023.7.12
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世界のワインを無理やり5つに分類すると、三船敏郎のように男くさいボルドー系の赤、グレース・ケリーのようにエレガントなブルゴーニュ系の赤、三銃士のダルタニャンのようにきりっとしたブルゴーニュ系の辛口の白、カトリーヌ・ドヌーヴのようにスタイリッシュなスパークリングワイン、峰不二子のように妖艶な極甘口のデザートワインになります。

5種類の中で、最も威張っているのがボルドー系の赤ワインで、頂点に君臨しているのがボルドーの5大シャトーです。

今回は、5大シャトーの中の筆頭格であるラフィット・ロスチャイルドを取り上げます。

目次

5大シャトーの筆頭格

宝塚歌劇団の5つの組を列記する場合、花組、月組、雪組、星組、宙組と、創立年の古い順番に書くのが一般的です。藤井聡太二冠の快進撃で人気が沸騰している将棋界の8大タイトルの序列は、竜王、名人、王位、王座、棋王、叡王、王将、棋聖で、優勝賞金額の多い順です。鉄道の時刻表では、東海道本線が先頭に載っています。

格上から順に記載するのですが、上記のいずれの順番も、どこにも明文化してありませんが、暗黙の了解でその順番で書きます。

ボルドーのというより、銀河系のワインのトップに君臨するのが5大シャトーですね。ワイン愛好家でなくても、5つのシャトーを記憶している人は多いでしょう。5大シャトーの名前を書く場合の順番も決まっています。

①シャトー・ラフィット・ロスチャイルド
②シャトー・マルゴー
③シャトー・ラトゥール
④シャトー・オー・ブリオン
⑤シャトー・ムートン・ロスチャイルド

5大シャトーの中の序列は、1855年にメドックの格付けが制定された時の記載の順番で、以降、慣例として、ラフィットを先頭に記載することになっています。

1855年の格付けとラフィット

1851年、第1回の万国博覧会がロンドンで開催され、大成功を収めます。第2回万博は1855年にパリで開くことになり、ナポレオン3世は、世界から万博に来る観光客用に分かりやすいワインのガイドを作れとボルドー商工会議所に命じました。

「観光客用の美味いワイン早わかり」を作れと言われた同商工会議所は、面倒なことを言われたと思い、仲買人組合に丸投げします。これが、1855年4月5日で、同組合員の一人、エドワード・ロートンが1樽当たりの金額で57シャトー(現在は61シャトー)を5つの級に格付けしました。2週間足らずの4月18日に回答していますので、価格の順番で決めたのは妥当でしょう。

以下が格付けの回答文書の3ページ目の原文です。

1855年のメドックの格付けの文書の3ページ目

そして以下が1855年のメドックの格付けの文書の3ページ目の内容となります。

この格付け文書を見ると、いろいろなことが分かります。

1.格付けは全て価格順

添付文書は2級格付けの途中までですが、この格付けでは、1級から5級まで、全て価格順になっています。これが理由で、1級格付けの記載順は、暗黙のうちに最高価格の「ラフィット」から「シャトー・マルゴー」「ラトゥール」「オー・ブリオン」、および、1973年に1級に昇格した「ムートン」の順になりました。

2級格付けも、本来なら価格順となり、「ローザン・セグラ」「ローザン・ガシー」「レオヴィール」「ヴィヴァン・デュフォール(現在のデュフォール・ヴィヴァン)」「グリュオ・ラローズ」……の順番ですが、14シャトーもあると覚えるのが大変です。なので、2級以降の格付けは、村ごとにまとめて記載することになりました。

この恩恵を最大限に受けているのがコス・デストゥルネルとモンローズです。

両シャトーは、オリジナルの格付けでは2級の最下位ですが、現在のワインの教科書や、レストランのワイン・リストでは、サンテステフ村、ポイヤック村、サン・ジュリアン村、マルゴー村と北から書きます。2級の最初に載るのがサンテステフ村のコス・デストゥルネルとモンローズで、最初に覚えますので、知名度も高くなりました。

2.ラフィットは、1855年の格付けではロスチャイルド家の所有ではなかった

格付け文書を見ると、ムートンは、ナサニエル・ロスチャイルドの所有と記述してあり、既に、ムートン・ロスチャイルドですが、ラフィットの所有者は、準男爵のサミュエル・スコットになっています。ロスチャイルド家がラフィットを購入したのは格付け後の1868年、明治元年です。

3.ムートンは、ギリギリで1級に入れなかった

仲買人組合のエドワード・ロートンの格付けの回答書の2ページ目に、以下のように格付けを決めたと記載してあります。

1樽(958リットル)あたりの価格が3,000フラン以上を1級
2,700から2,500フランが2級
2,400から2,100フランが3級
2,100から1,800フランが4級
1,600から1,400フランを5級

ロートンは、1級と2級を分ける線をどこに引こうか迷ったに違いありません。オー・ブリオンとムートンの間で1級と2級に分けた理由は、以下の感じだったと思います(観光客用のワインのガイドなので、気楽に考えたことでしょう)。

①「3,000フラン」が、キリのいい数字だった。
②オー・ブリオンとムートンの価格差が300フランもあり、ここが境界線に見え、ムートン以下を「第2集団」にした。

なお、1855年の格付けの詳細は、本コラム「日本で一番詳しい1855年メドックの格付け」をご参照ください。

18世紀のラフィット

サンテスフ村のシャトー、カロン・セギュールで有名なセギュール公は、代々、サンテステフ村を含むメドック一帯の大地主でした。

18世紀、ニコラ=アレクサンドル・ド・セギュール侯爵(1695年-1755年)が、1716年にラフィットとラトゥールを相続し、1718年にはムートンとカロン・セギュールを買収します(詳細は、本コラムの「カロン・セギュール」をご参照ください)。この二コラ=アレクサンドル公の時代から、ラフィットでは高品質のワインを生産していました。

ラフィットの名声をフランス中に知らしめたのが、あのポンパドゥール夫人です(1721年-1764年)。フランス国王ルイ15世の公妾(国が認めた愛妾)であり、ベルサイユ宮殿の華と言われた夫人は、ラフィットの熱烈な愛飲家でした。これには、少し捻じれた経緯があります。

現在、世界最高価格のワイン、ロマネ・コンティは、当時も最高峰でした(当時の畑名はロマネです)。この畑の所有権を巡って、夫人はコンティ王子と壮絶な争奪戦を繰り広げ、残念ながらコンティ公に敗れます。

可愛さ余って憎さ百倍のポンパドゥール夫人は、ブルゴーニュを嫌い、一転して、ボルドーの最高峰、ラフィットを愛飲します。これがベルサイユ宮殿に広まり、ラフィットの名声が定まりました。

ラフィット・ロスチャイルドへ

ラフィットは、ムートンと同じロスチャイルド家(ドイツ語でロートシルト、フランス語ではロッチルド)の所有です。

ドイツのフランクフルトで両替商をしていたマイヤー・アムシェルの5人の息子が、フランクフルト、ロンドン、パリ、ウイーン、ナポリの5大都市に分散し、巨大な金融業を展開しました。5人が力を合わせる「五本の矢」がトレードマークとして有名です。

ボルドーのワイン界でのラフィットとムートンは、この5本の矢のように「協力のシンボル」にはならず、逆に、対立し合います。

フランスは、昔から現在にいたるまでガチガチの階級社会です。社会階層の最上部が、芸術家、シェフ、エンジニア、ワイン生産者で、最下層が金融業でした。国が変れば、人気のある職業が変る好例ですね。

「金はあるが名誉がない」と考えたロンドンのロスチャイルドは、1853年にムートンを購入して、「階級ロンダリング」を図りました。その2年後の1855年に「メドックの格付け」が決まります。1868年、1級格付けシャトーの中でも最高峰のラフィットが競売にかかります。これを圧倒的な落札額で購入したのがパリのロスチャイルド家です。この年から、シャトー名がラフィット・ロスチャイルドになります。

ラフィットとムートンの確執

同じロスチャイルド家なのに、ラフィットは1級、ムートンは2級。20歳の誕生日にムートンの当主となったフィリップ男爵は悔しくてたまりません。1級になった後のラフィットを財力に任せて買ったパリのロスチャイルド家の所業は、男爵には「後出しジャンケン」に見えたことでしょう。

そこで男爵は、長年に渡り、品質向上だけでなく、政治力と金を注ぎ昇級を画策しました。同時に、ラフィットは、ムートンの昇格を阻むべく、厳しい嫌がらせを浴びせますが、男爵は着実に、巧妙に政治工作を進め、ついに1973年に1級となります。

この時、昇格承認の書類にサインをした農務大臣がジャック・シラクでした。以降、シラクは首相となり、1995年には大統領へ。ムートン昇格のお礼としてロスチャイルド家が後押しし、シラクがトントン拍子で大統領に「昇格」したと勘ぐる人が多数います。こうして、今の「5大シャトー」が誕生しました。

ラフィットとムートンは同じロスチャイルド家ながら仲が悪く、また、ビジネス路線も正反対です。大阪の豪商のように派手なムートンに対し、ラフィットはストイックな江戸の武士のような雰囲気がありますね。

ラフィットの創立150周年記念ボトル

明治元年にロスチャイルド家の所有になったラフィットは、2018年ヴィンテージで、創立150周年を記念したボトルを作りました。

2018年の創立150周年記念ラベル

記念ラベルは、一見、「いつものラベルとどこが違うの?」と思いますが、シャトーの右上にCL(Chateau Lafite)のイニシャルが入った気球が飛んでいます。非常に地味な記念ラベルですね。なぜ、こんなに地味なのか?いろいろ推理してみました。

理由その1:ライバルのムートンの方が歴史が古い

ロンドンのロスチャイルド家のナサニエルがムートンを購入したのが1883年で、ラフィットの創立はその15年後です。格付けでは勝っていますが、創立年では負けているので、あまり、創立年に注目を集めたくなかったのではないでしょうか。

理由その2:ムートンが先に派手な創立150周年記念ボトルを出した

毎年、ラベルの絵が変ることで有名なムートンは、創立150周年となる2003年に記念ボトルを出しました。これまで、毎年、派手なラベルでしたが、2003年は趣きがガラッと変え、創立者のナサニエルの肖像画のラベルとなりました。

ムートンでは、フィリップ男爵が死去した年のラベル(1987年)のように、節目のラベルは人気があり、更に、ヴィンテージの出来もよかったことから、2003年のラベルはワイン愛好家の間で大きな話題になりました。

ラフィットが派手なラベルを貼ると、ムートンのこのボトルと比較されるので、それを嫌って、地味なラベルにしたのではないでしょうか。

ムートン2003年の150周年記念ラベル

理由その3:ラフィットは、もともと、派手なことを嫌う文化がある

質実剛健な江戸の武士であるラフィットとしては、派手に豪遊する大阪の豪商のようなムートンのビジネス路線は行きたくありません。派手なラベルを作ると、「ラフィットもムートンみたいになったんだね」と言われるかもです。

ラフィットで、最も派手なボトルが2008年で、ボトルに赤で漢数字の「八」をエンボスしました。これは、爆発的に拡大している中国マーケットを意識したものです。

中国は、末広がりの「八」が大好きで、8が4つ揃った自動車のナンバープレートは数千万円で取引されるそうです。もともと、中国では高級ワインは接待用で、「あなたのために、お金は惜しみません。最高の物を用意しました」というメッセージが重要です。

その意味で、1級の中の筆頭格のラフィットは、「最高の格のワイン」として中国で絶大な人気があり、2008年ヴィンテージはパーカーポイントが98の「偉大なワイン」であり、ダメ押しの「八」ボトルにより、2008年物は、瞬時に品切れ状態になりました。

この2008年ボトルを初めて見た時、「質実剛健のあのラフィットまでが、中国市場に媚を売って、ビジネス路線に転換した」とショックを受けたのを覚えています。

ラフィットの2008年ボトル

理由その4:「後出しジャンケン」に引け目を感じている

ムートンは、1853年にシャトーを購入してから、1855年の格付けがあって2級となり、そこから政治力と大金を注ぎ込み1級に昇格しました。

一方、ラフィットは、1級になった後のシャトーを財力にまかせて買ったので、「努力していない」とか「後出しジャンケン」という人がいます。それを嫌って、地味な記念ラベルにしたのではと考える人もいます。

いずれにせよ、ラフィットとムートンの仲が険悪になった最大の原因は、1855年の格付けだと思います。

ラフィットと第3代アメリカ大統領、トマス・ジェファーソン

アメリカ人で、シャトー・マルゴーの熱烈愛好家として有名なのがノーベル文学賞を受賞したアーネスト・ヘミングウェイなら、ラフィットの最大のファンは、第3代のアメリカ大統領、トマス・ジェファーソン(1743年-1826年、大統領の就任期間は1801年-1809年)です。

日本では、ワインに興味がない女子高生でも知っているのがドン・ペリニヨンとロマネ・コンティなら、アメリカでは、ドン・ペリニヨンとラフィットです。

日本に比べて、ラフィットの知名度が異常に高いのはジェファーソンの影響が関係しています。(トマス・ジェファーソンは2ドル札の肖像となっています。なお、2ドル札は、日本の2,000円札同様、日常ではめったに見かけません。)

ジェファーソンは非常に多才な人で、政治家、弁護士、建築家、外交官だけでなく、バージニア大学も創立しました。ワインにハマり、ブドウを栽培してワインを造ったり、ホワイトハウスではソムリエとして、公式晩餐会で提供するワインの銘柄や本数まで1人で決めました。晩餐会では、シャンパーニュ1本で3.14人分取れると計算していたそうです。現代なら、ソムリエ世界選手権のアメリカ代表になれそうですね。

ジェファーソンは、1784年から1789年まで、特命全権大使としてパリに派遣され、ワインにのめり込みした。1787年5月にはボルドーに5日間滞在し、大手の仲買人を訪ねて試飲したそうです。この試飲でのお気に入りがラフィットでした。

アメリカに戻ったジェファーソンは、アメリカ合衆国の初代国務長官に就任します。外務大臣に相当するこの地位は、ワインにハマったジェファーソンには絶好の役職で、ボルドーのアメリカ総領事に対し、どのワインを何本、ワシントン大統領と自分に送るか詳細に指示したそうです。

1801年、ジェファーソンは、建国間もないアメリカの3代目大統領となります。最初の任期中、年収は交際費も含め2万5000ドルで、そのうち、7595ドルもワインに注ぎこみました。8年の在任期間中、2万本以上ヨーロッパ・ワインを購入しました。お気に入りは、ラフィットとイケムでした。

ジェファーソン・ボトル:最高落札額ワインの謎

ジェファーソンは、熱烈なワイン収集家でした。1776年7月4日のアメリカ独立宣言の当日、ジョージ・ワシントン、ジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリンをはじめとする要人が、アメリカ国民を前に乾杯をしたのは、ジェファーソンが特別に秘蔵していたマデラ酒です。

ジェファーソンとラフィットのつながりはアメリカ国民には有名で、それを象徴するのが「1985年ジェファーソン・ボトル競売事件」です。

手吹きボトルに入り、「Th. J」のイニシャルを掘ったラフィット1787が1985年、ロンドンのクリスティーズのオークションに出品されました。競売を仕切ったのは、世界で一番多く古酒を飲んできた男、マイケル・ブロードベント。競りは、世界最大部数(40万部)を誇るワイン誌、『ワイン・スペクテーター』の発行人、マーヴィン・シャンケンと、世界有数の経済誌、『フォーブス』誌を発行するマルコム・フォーブスの息子、クリストファー・フォーブスの2人が、面子を懸けた一騎打ちになりました。

3万から4万ポンドの予想落札価格をあっさり上回り、結局、10万5000ポンド(現在の3,200万円)で落札。1分39秒の熱い競りに勝ったのはフォーブスでした。これが、世界最高額のワインです。

「ジェファーソン・ボトルを巡る呪い」は続きます。このボトルが偽物ではないかとの疑惑が持ち上がり、フォーブスがボトルの出品者に本物である証拠を出せと迫ったり、フォーブスが科学分析をしたりとめちゃくちゃコジれました。また、ボトルの真ん中に、トマス・ジェファーソンのイニシャルの「Th. J」が彫ってあるのですが(このイニシャルが大人気の原因です)、200年以上前の工具や技術では彫れないことも判明し、2006年には訴訟騒ぎになりました。

「ジェファーソン・ボトルの呪い」の余談ですが、ワインのプロであるシャンケンは、素人のフォーブスに競り負けたことが物凄く悔しかったはずです。シガー専門誌、『シガー・アフィショナード』も発行していたシャンケンは、シガー好きのケネディー大統領愛用のヒュミドール(シガーを保管するための弁当箱くらいの箱)が1996年の競売に出たとき、最後まで競り、予想落札価格3万ドルを圧倒的に上回る52万ドル(5,200万円)で競り落とします。「ジェファーソン・ボトルの呪い」がなければ、ここまで熱くならなかったはずですね。



世界で最も有名なワインがボルドーの赤。1万を越えるボルドーの生産者の中のエリート集団が61の格付けシャトーで、さらに、トップの1級の中の筆頭格がラフィットです。トップの中のトップになったお祝いとして、これほどふさわしいワインはありません。

また、このエピソードを添えてトップを目指す人へプレゼントすると、とても喜んでもらえると思います。



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