ジャック・フレデリック・ミュニエ
JACQUES FREDERIC MUGNIER

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フランス ブルゴーニュ シャンボール・ミュジニー コート・ド・ニュイ

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フランス ブルゴーニュ ニュイ・サン・ジョルジュ コート・ド・ニュイ

ジャック・フレデリック・ミュニエ / JACQUES FREDERIC MUGNIER ワインボトル

自然の恵みを鮮やかに描き出す、シャンボール・ミュジニーの名手


繊細で華やかなシャンボール・ミュジニーらしさを引き出す名手として知られる、ジャック・フレデリック・ミュニエ。コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエやジョルジュ・ルーミエといったシャンボール・ミュジニーを代表する2大ドメーヌと肩を並べる存在であり、年々入手困難を極める造り手です。

目次

ドメーヌを飛躍的な成長に導いた、異色の経歴を持つ5代目当主

ドメーヌの歴史は古く、1863年の設立。当時ディジョンのリキュールメーカーとして知られていたミュ二エ家は、20世紀初めにシャンボール・ミュジニーとニュイ・サン・ジョルジュに広がる20ha近くの畑を取得しました。しかし1930年代の経済恐慌や世界大戦の影響を受け、1950年にリキュール部門を売却。ブドウ畑の大部分をニュイ・サン・ジョルジュのネゴシアンに貸出さざるを得なくなります。


フレデリック・ミュニエ氏
フレデリック・ミュニエ氏

その後1978年にシャンボール・ミュジニーの賃貸契約が終了し、その6年後には当主であるフレデリック・ミュニエ氏がドメーヌを継ぎ、ワイン造りに参画。2004年にニュイ・サン・ジョルジュのクロ・ド・ラ・マレシャルの畑が戻ってきたことも追い風となり、ワイナリーは飛躍的な成長を遂げました。


この5代目当主、フレデリック・ミュニエ氏を語る上で外せないのが、その異色とも言える経歴。石油関連のエンジニアとして活躍し、パイロットも務めていました。それまでワイン造りに直接関わったこともなかった彼が「人生の中でまったく違う仕事を」と1984年にドメーヌを引き継ぎ、今日の発展へと導いてきたのです。

独自のポリシーから生まれる気品に満ちた芸術品

フレデリック・ミュニエ氏のワイン造りへのポリシーは自然に任せ、人間の介入をできる限り避けること。「ワインは自然のものであり、造りあげるものではない。醸造も行うが、その仕事は全体の中でほんのわずかな割合しか占めていない。ヴィンテージについても、その年の弱点や特徴を調整しようとはしない。」と語り、あくまでも素直にブドウの魅力を引き出すことを心掛けています。


ブドウの分析値に流されることなく、果皮の色で収穫日を判断するなど、ミュニエ氏はヴィニュロンとしてまさに「匠」の域に達しており、自分の個性ではなく、畑の特性をそのままワインにするその姿勢は、畑ごとのテロワールを理解する指標としてブルゴーニュ愛好家に愛されています。

シャンボール・ミュジニーのテロワールを純粋に表現するため、畑では化学肥料、除草剤、殺虫剤の使用を段階的に廃止し、こまめな手入れを実施。また、近年は新樽の使用を抑えており、グラン・クリュのミュジニーでさえ新樽比率はおよそ15%にまで減らしています。ミュニエ氏曰く「将来的には全てのワインに新樽を使用しなくても、高い水準のワイン造りは可能」と語るように、新樽の使用に関してはピュアさを失わないように細心の注意が払われているのです。

こうして独自のポリシーから生まれる緻密な構成と気品に満ちた芸術的とも言われるワインは、ブルゴーニュ・ファンが密かに探し求めるワインのひとつとなっています。

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