お酒の「世界選手権」があり、「ゴージャスでエレガント」部門の金メダルは、2位以下を圧倒的な大差で引き離してシャンパーニュの大勝利ではないでしょうか?
そんなシャンパーニュにも400年近い苦労の歴史があります。そして、シャンパーニュが今のように「泡のお酒」となるきっかけが、ガラス瓶、コルク、そして、ドン・ペリニヨンという「二つと一人」が出会ったことです。
今回は、そんなシャンパーニュの歴史についてご紹介します。
ガラス瓶とコルクの存在
その後、もっと安く簡単に作ることができる「吹きガラス技法」が紀元前1世紀ぐらいに発明され、じわじわと改良を重ね、大量生産が進んで、庶民も使えるようになりました。
シャンパーニュの命というべき「泡」。この泡をキチンと「保存」するには、容器に入れて、密閉しなければいけません。酸やアルカリに耐えて、しかも伸び縮みするのがコルクです。ワインの栓として理想的なコルクも、ガラス瓶同様、大量生産されて一般に出回るようになりました。
ガラス瓶とコルクが出会ったのが1650年頃と言われています。そのころに、ビールやワインをガラス瓶に入れコルクで栓をするスタイルが出来上がりました。日本では水戸黄門が活躍していた時代ですが、黄門様は、ガラス瓶ではなく、陶製のとっくりで日本酒を飲んでいたと思われます。
なぜシャンパーニュが生まれたのか?
今、世界の様々な国でワインが造られているが、「ワイン造りの理想の地」と羨ましがられるのが、ブドウの生育期間中は暑くて雨が降らず、毎年ヴィンテージ・イヤーが続くカリフォルニア州のナパ・ヴァレーです。
その正反対がシャンパーニュ地方。ブドウ栽培の北限ギリギリのとても寒い場所にあります。糖分が少ないため、普通にワインを造っても口が曲がるほど酸っぱいものしかできません。
また、太陽の光も少なく、色素が乗らないため、赤ワインもロゼのように薄く、赤ワインでは勝負できません。そこで、白ワイン造りに励んだわけですが、白ワインだけではなく、黒ブドウもそーっと絞って白ワインにしました。
シャンパーニュの「白ワイン」を樽で買ってくれたのがイギリスです。2月、3月の極寒のシャンパーニュ地方から樽でロンドンへ送っていますが、その時は寒くて発酵が一時停止した状態になっています。その後、春になって暖かくなると酵母が冬眠から覚めて、発酵が始まります。発酵で出た二酸化炭素がワインに溶け、グラスに注いだ時に泡ができました。
イギリス人は、この泡の出る白ワインを面白がってボトルに詰め、コルクで栓をしました。これが世界初の「シャンパーニュ」と言われています。1660年ごろの話で、ガラス瓶とコルクがないと泡の出るワインは出来なかったのです。
ドン・ぺリニヨンによる逆転の発想
今風に言えば、「セラー・マスター」と言えばよいでしょうか。ブドウの栽培から醸造までを管理しなければいけないのですが、悩みが2つありました。それは、「春先に湧いて出る泡を止めたい」「口が曲がるほどの酸っぱさを柔らかくしたい」という点です。
普通の人であれば、泡を出さない方法をいろいろ試してみると思いますが、ペリニヨンは逆転の発想をし、「じゃあ、泡がたくさん出るワインを作ろう」と思い立ち、そのころ出回ったガラス瓶とコルクと合体して、「シャンパーニュの素」になった。ペリニヨンが41歳の頃、1679年でした。
「酸味がキツい」解決法は、「色々な年、色々な畑、そして色々な白黒ブドウを混ぜること」でした。ペリニヨンは色々な畑を回って見つけた「現象」でした。今、シャンパーニュのメゾンへ行くと、二次発酵させる前の原酒を飲ませてくれます。A、B、Cの3つの原酒を別々に試飲して、ABC順に、「うわー、酸っぱい」「もっと酸っぱい」「最高に酸っぱい」と、英語の形容詞の比較級のようになりますが、3つを混ぜると、とても優しい味わいになるんです。これは手品を見るようでした。このブレンドが、シャンパーニュの美味さの秘密と言われています。
自分の弱点を強みに変える逆転の発想があり、シャンパーニュが世界に誇るワインとなりました。
まとめ
ドン・ペリニヨンの努力と発想の転換で、シャンパーニュは、泡が出るお酒、コルクを開ける時にポーンと音が出るワインとして、パリやロンドンで大人気になりました。
今では、お祝いのシンボルとして、また、食事とともに、世界中で飲んでいるシャンパーニュも華やかさの背景には、このような苦労話があったのです。